ま娘が、とうとう男狂いをはじめた、と髪結さんのところから噂《うわさ》が立ちはじめたのは、ことしの葉桜のころで、なでしこの花や、あやめの花が縁日の夜店に出はじめて、けれども、あのころは、ほんとうに楽しゅうございました。水野さんは、日が暮れると、私を迎えに来て呉れて、私は、日の暮れぬさきから、もう、ちゃんと着物を着かえて、お化粧もすませ、何度も何度も、家の門口を出たりはいったりいたします。近所の人たちは、そのような私の姿を見つけて、それ、下駄屋のさき子の男狂いがはじまったなど、そっと指さし囁《ささや》き交して笑っていたのが、あとになって私にも判《わか》ってまいりました。父も母も、うすうす感づいていたのでしょうが、それでも、なんにも言えないのです。私は、ことし二十四になりますけれども、それでもお嫁に行かず、おむこさんも取れずにいるのは、うちの貧しいゆえもございますが、母は、この町内での顔ききの地主さんのおめかけだったのを、私の父と話合ってしまって、地主さんの恩を忘れて父の家へ駈《か》けこんで来て間もなく私を産み落し、私の目鼻立ちが、地主さんにも、また私の父にも似ていないとやらで、いよいよ世間を狭くし、一時はほとんど日陰者あつかいを受けていたらしく、そんな家庭の娘ゆえ、縁遠いのもあたりまえでございましょう。もっとも、こんな器量では、お金持の華族さんの家に生れてみても、やっぱり、縁遠いさだめなのかも知れませぬけれど。それでも、私は、私の父をうらんでいません。母をもうらんで居《お》りませぬ。私は、父の実の子です。誰がなんと言おうと、私は、それを信じて居ります。父も母も、私を大事にして呉れます。私もずいぶん両親を、いたわります。父も母も、弱い人です。実の子の私にさえ、何かと遠慮をいたします。弱いおどおどした人を、みんなでやさしく、いたわらなければならないと存じます。私は、両親のためには、どんな苦しい淋《さび》しいことにでも、堪え忍んでゆこうと思っていました。けれども、水野さんと知り合いになってからは、やっぱり、すこし親孝行を怠ってしまいました。
申すも恥かしいことでございます。水野さんは、私より五つも年下の商業学校の生徒なのです。けれども、おゆるし下さい。私には、ほかに仕様がなかったのです。水野さんとは、ことしの春、私が左の眼をわずらって、ちかくの眼医者へ通って、その病院の待合
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