いてみたいと思っていた。十年間の私の東京生活を、その時々の風景に託して書いてみたいと思っていた。私は、ことし三十二歳である。日本の倫理に於ても、この年齢は、既に中年の域にはいりかけたことを意味している。また私が、自分の肉体、情熱に尋ねてみても、悲しい哉《かな》それを否定できない。覚えて置くがよい。おまえは、もう青春を失ったのだ。もっともらしい顔の三十男である。東京八景。私はそれを、青春への訣別《けつべつ》の辞として、誰にも媚《こ》びずに書きたかった。
あいつも、だんだん俗物になって来たね。そのような無智な陰口が、微風と共に、ひそひそ私の耳にはいって来る。私は、その度毎に心の中で、強く答える。僕は、はじめから俗物だった。君には、気がつかなかったのかね。逆なのである。文学を一生の業として気構えた時、愚人は、かえって私を組し易しと見てとった。私は、幽かに笑うばかりだ。万年若衆は、役者の世界である。文学には無い。
東京八景。私は、いまの此の期間にこそ、それを書くべきであると思った。いまは、差し迫った約束の仕事も無い。百円以上の余裕もある。いたずらに恍惚と不安の複雑な溜息《ためいき》をもらして狭い部屋の中を、うろうろ歩き廻っている場合では無い。私は絶えず、昇らなければならぬ。
東京市の大地図を一枚買って、東京駅から、米原《まいばら》行の汽車に乗った。遊びに行くのでは、ないんだぞ。一生涯の、重大な記念碑を、骨折って造りに行くのだぞ、と繰返し繰返し、自分に教えた。熱海で、伊東行の汽車に乗りかえ、伊東から下田行のバスに乗り、伊豆半島の東海岸に沿うて三時間、バスにゆられて南下し、その戸数三十の見る影も無い山村に降り立った。ここなら、一泊三円を越えることは無かろうと思った。憂鬱堪えがたいばかりの粗末な、小さい宿屋が四軒だけ並んでいる。私は、Fという宿屋を選んだ。四軒の中では、まだしも、少しましなところが、あるように思われたからである。意地の悪そうな、下品な女中に案内されて二階に上り、部屋に通されて見ると、私は、いい年をして、泣きそうな気がした。三年まえに、私が借りていた荻窪《おぎくぼ》の下宿屋の一室を思い出した。その下宿屋は、荻窪でも、最下等の代物《しろもの》であったのである。けれども、この蒲団部屋の隣りの六畳間は、その下宿の部屋よりも、もっと安っぽく、侘《わび》しいのである。
前へ
次へ
全22ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング