ん。やや面長の、浅黒い顔です。服装も変っていません。みんなと同じ黒い事務服です。髪の形も変っていません。どこも、何も、変っていません。それでいて、その人は、たとえば黒いあげは蝶の中に緑の蝶がまじっているみたいに、あざやかに他の人と違って美しいのです。そうです。美しいのです。何のお化粧もしていません。それでも、ひとり、まるで違って美しいのです。私は、不思議でなりませんでした。白状すると、私は、事務所であの画かきさんを待っているあいだ、その不思議な少女の顔ばかり見ていました。これは、先祖の血だ、と私はもっともらしく断定を下して、落ちつく事にしました。その父か母に昔から幾代か続いた高貴の血があって、それゆえ、この人の何の特徴もない姿からでもこんな不思議な匂いが発するのだ。実に父祖の血は人間にとって重大なものだ、などと溜息《ためいき》をついて、ひとりで興奮していたのですが、それは、違いました。私のそんな独《ひと》り合点《がてん》は、見事にはずれていました。そのひとの際立《きわだ》った不思議な美しさの原因は、もっと厳粛な、崇高といっていいほどのせっぱつまった現実の中にあったのです。或る夕方、私は
前へ 次へ
全7ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング