に語って聞かせた。どれも、これも結構でなかった。実に、陳腐《ちんぷ》な、甘ったるいもので、私はあっけにとられたが、しかし、いまの此《こ》の場合、画のうまいまずいは問題でない。私のこんどの小説集は、彼の画のために、だめになってしまうかも知れないが、でも、そんな事なんか、全くどうだっていいのだ。男子意気に感ぜざればとかいう言葉があったではないか。彼は、そのつまらぬ腹案を私に情熱を以《もっ》て語って聞かせ、またその次には、さらにつまらぬ下書の画を私に見せ、そのために私は彼からしばしば呼出しを受けて、彼の工場に行かなければならなくなったのです。
工場の門をくぐって、守衛に、彼から来た葉書を示し、事務所へはいると、そこに十人ばかりの女の子が、ひっそり事務を執《と》っています。私は、その女の子のひとりに、来意を告げ、彼の宿直の部屋に電話をかけてもらいます。彼は工場の中の一室に寝起きしているのであって、彼の休憩の時間は彼の葉書に依ってちゃんと知らされていますから、私はその彼の休み時間に、ちょっと訪問するというわけなのであります。彼が事務所にやってくるまで、私は事務所の片隅の小さい椅子に腰かけて、ぼんやり待っているのですが、実はそんなにぼんやりしているのでもなかったのです。私は、目の前で執務している十人ばかりの女の子を、ひそかに観察していたのです。みんなもう、見事なくらい、平然と私を黙殺しています。女の子から黙殺されるのは、私も幼少の頃から馴《な》れていますので、かくべつ驚きもしませんが、でもこの黙殺の仕方は、少しも高慢の影は無く、ひとりひとり違った心の表情も認められず、一様にうつむいてせっせと事務を執っているだけで、来客の出入にもその静かな雰囲気は何の変化も示さず、ただ算盤《そろばん》の音と帳簿を繰る音が爽《さわ》やかに聞こえて、たいへん気持のいい眺めなのでした。どの子の顔にも、これという異なった印象は無く、羽根の色の同じな蝶々がひっそり並んで花の枝にとまっているような感じなのですが、でも、ひとり、どういうわけか、忘れられない印象の子がいたのです。これは、働く少女たちの間では、実に稀《まれ》な現象です。働く少女たちには、ひとりひとりの特徴なんか少しも無い、と前にも申し上げましたが、その工場の事務所にひとり、どうしても他の少女と全く違う感じのひとがいたのです。顔も別に変っていませ
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング