数へることが出来た。そして謝源にはその青白い色をして居る畑が自分を冷笑して居るやうにも見えた。若しこの時謝源が空を見上げたならば、もう一つの気味の悪い大きな星が彼の丁度頭の上で、さつきと同じやうに長い尾を引いて流れたのを見たことであつたらう。
 彼は長い間ボンヤリ立つて居た……

 謝源の乱行は日増に甚だしくなつて行つた。
 飲酒、邪淫、殺生その他犯さぬ悪さとてなかつた。この時に於ける郭光の切腹して果てたことも謝源の心に何の反省も与へては呉れなかつた。
 中にも土民狩と言つて人民を小鳥か何かのやうに取扱ひ弓等で射殺し、今日は獲物が不足だつたとか、多かつたとかで喜んで居たりしたことは鬼と言つてもまだ言ひ足りない気がする位である。人民の呪詛もひどかつた。
 一人として王を恐れ且つ憎まぬ者はないやうになつた。そして人民は皆「王が石垣島を占領した功に誇り、慢心を起し遂にこんなになつてしまつたのだ」と口々に言つて居た。
 若し謝源がこれを聞いたならキツと心からの苦笑を洩らしてしまふにちがひない。

 こんなフウだつたからそれから一年もたゝぬ中に石垣島のもとの兵に首里が襲はれて易々と復讐されたのは言ふまでもないことである。併し謝源は少しも残念がる様子もなく或夜コツソリと一そうの小舟で首里からのがれて行つた。どこに行つたか一人も知つて居るものがなかつた。
 たゞ数ヶ月の後、石垣島の王のやしきの隅にその頃日本では、なかなか得ることの出来なかつた世界の地図が落ちてあるのを家来の一人が発見した。誰がどんな理由で持つて来てここのやしきの中に投げこんで行つたのか無論わからなかつた。そしてその地図の所々に薄い血痕のやうなものが付いて居た。石垣島の王はそれを、たいへん珍らしがつて保存して置いたことであらう。



底本:「日本の名随筆 別巻46 地図」堀淳一編、作品社
   1994(平成6)年12月25日第1刷発行
底本の親本:「太宰治全集 第一二巻」筑摩書房
   1977(昭和52)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:ブラン
校正:土屋隆
2003年12月14日作成
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