。フイと首を傾けて外を眺めた。暗い晩であつた。まだ月が出るには間があるのか、たゞまつくらで空と大地との区別すらつかない程であつた。彼はその空を見て居るうちにもう、その空までも自分が征服してしまつたやうな気がした。勝つた者の喜び※[#感嘆符二つ、1−8−75] 彼はそれを十二分に味つて居た。
 ジーと暗い空の方を眺めて居た。彼はフト空のスグ低い所に気味の悪い程大きな星がまばたきもせず黙つて輝いて居るのを見た。
「大きい星だナ」彼は何気なくつぶやいた。郭光はその王の独りごとを耳に聞きはさんだ。「どれ、どれ、どこにその星が……」郭光はおかしみたつぷりにそう言つた。謝源はそれを聞いて微笑みながら、だまつてその星のある方を指さした。郭光は「ウム、ななーる程これア大きい星ぢや。何といふ星ぢやらう。うらめしそうに、わしの方を見て居りますナ。王、あれア石垣の、やつらがくやしがつてあの様ににらめて居るので御座らう」ヒヨウキン者の郭光は妙な口調でこういつた。そしてその星に向つて、「ヤイ/\いくさに負けて、くやしいだらう」とやゝ高声に変なフシをつけて叫んだ。謝源も、これを聞いた家来の一部のものも、あまりのオカシさに笑ひこけてしまつた。その瞬間その大きな気味の悪い星が不吉を予言するかのやうにスーツと音もなく青白い長い尾を引きながら暗の中に消えてしまつたのは誰も知らなかつたことである。謝源と郭光はそれから一しきり、いくさの手柄話に花を咲かせて居た。
 その時一人の家来があはたゞしく王の前に参り「たゞ今二人の蘭人がこれに見えて、王に戦勝の祝の品を持つて来たと申して居ます。いかゞとりはからひませうか」と言つた。謝源はフト郭光との話を止めて上機嫌で「アヽそうか、すぐこれへ」と口ばやに言つた。家来は「承知致しました」と急いで、そこを去つた。
 謝源には二人の蘭人とは誰と誰であるかゞわかつて居た。八年前に謝源がこの沖合で難破した蘭人の二人を家来の救ふて来たのを、世話してやつたことがあつた。キツトその蘭人があれから先づ己の国に帰つて又日本に来る途中で自分の戦勝を聞き、取り敢へず祝の品を持つて来たのだらうと思つた。
 彼はその蘭人の恩を忘れぬ美しい心が又となく嬉しく思はれた。果してあの蘭人であつた。二人はあれからは大分老いて見えた。丈の高い方はもう頭に白髪が十分まじつて居た。
 肥えて居た方はことに衰へて
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