、なんだ、お前か、と言いました。すぐ近くの交番のおまわりで、私とはもちろん顔馴染《かおなじみ》の仲なのです。私は手短かに事情を申し述べますと、おまわりは、へえ、そりゃひどい、と言って笑ってしまいましたが、しかし、二階では、まだ、どろぼう! どろぼう! と叫び、金盥も打ちつづけていまして、近所近辺の人たちも皆、起きて外へ飛び出し、騒ぎが大きくなるばかりでございましたので、おまわりは、蛮声を張りあげて、二階の者たちに、店の戸をあけろ! と呶鳴りました。それでどうやら二階の狂乱もしずまり、二階に電気がつき、やがて、下にも電気がつきまして、店の戸が内からあいて、寝巻姿の婆と女房は、きょときょと顔を出し、おまわりは苦笑しながら、どろぼうではない、と言って私を前面に押し出しましたら、婆はけげんな顔をして、これは誰ですか、こんな男は存じません、お前は知っているか、と娘に尋ね、娘も真顔で、とにかくあたしたちの家の者ではありません、と答えます。そんなにまでされては、さすがに私も、呆れかえって物が言えない気持になり、そうですか、さようなら、と言って、おまわりの呼びとめるのも聞かず、すたすたと川のほうに歩いて行き、どうせもう、いつかは私は追い出すつもりでいたのでしょうし、とても永くは居られない家なのだから、きょうを限り、またひとり者の放浪の生活だと覚悟して、橋の欄干《らんかん》によりかかったら、急にどっと涙が出て来て、その涙がぽたんぽたんと川の面《おもて》に落ち、月影を浮べてゆっくり流れているその川に、涙の一滴ずつ落ちる度毎《たびごと》に小さい美しい金の波紋が生じて、ああ、それからもう二十年ちかく経ちますが、私はいまでも、あの時の淋《さび》しさ悲しさをそのまんま、ありありと思い出す事ができるのでございます。

 それからも私は、いろんな女から手ひどい打撃を受けつづけてまいりまして、けれどもそれは無学の女だから、そのような思い切ったむごい仕打ちが出来るのか、と思うと、どうしてどうして、決してそういうものでなく、永く外国で勉強して来た女子大学の婆さん教授で、もうこのお方は先年物故なさいましたが、このお方のために私の或る詩集が、実に異様なくらい物凄い嘲罵を受け、私はしんそこから戦慄し、それからは、まったく一行《いちぎょう》の詩も書けなくなり、反駁《はんばく》したいにも、どうにも、その罵言《ばげん》は何の手加減も容赦《ようしゃ》も無く、私が小学校を卒業したばかりで何の学識も無いこと、詩はいよいよ下手《へた》くそを極めて読むに堪えないこと、東北の寒村などに生れた者には高貴優雅な詩など書けるわけは絶対に無いこと、あの顔を見よ、どだい詩人の顔でない、生活のだらしなさ、きたならしさ、卑怯《ひきょう》未練、このような無学のルンペン詩人のうろついているうちは日本は決して文明国とは言えない、という実に一から十までそのとおりの事で、阿呆《あほう》な子に向って、お前は家の足手まといになるから死ぬがよい、と言うほどのおそろしく的確なやっつけ方で、みも、ふたも無く、ダメなものはダメと一挙に圧殺の猛烈さでございまして、私はそのお方とは、いつか詩人の会でたったいちどちらと顔を合せた事があるくらいのもので、個人的な恩怨《おんえん》は何も無かった筈でございますのに、どうして私のようなあるか無きかの所謂《いわゆる》ルンペン的存在のものを特に選んで槍玉《やりだま》に挙げたのでございましょうか、やっぱり永年外国で学問をして来て大学の教授などしていても、あのダメな男につけ込んでさんざん痛めつけるという女性特有の本能を持っているからなのでございましょうか、とにかく私はそのすさまじい文章を或る詩の雑誌で読み、がたがた震えまして、極度の恐怖感のため、へんな性慾倒錯のようなものを起し、その六十歳をすぎた、男子にも珍らしいくらいの大きないかめしい顔をしているお婆さんに、こんな電報を打ってしまって、いよいよ恥の上塗りを致しました。ナンジニ、セツプンヲオクル。
 しかし、あの婆さんの教授は、私にこんな気が狂うくらいの大恐怖を与え、そうして私のさなきだに細く弱っていた詩の生命を完全にぷつっと絶ってしまった事にはたぶんお気附きなさる事もなく、いやいや、お気附きになったら、かえってお得意そうにうっとりなさるのかも知れませんが、とにかく先年、安楽な大往生をとげられた様子でございます。
 さて、もうだいぶ暗くもなってまいりましたので、私の愚かな経験談も、そろそろ終りに致したいと存じますが、之《これ》を要しまするに、世の女性というものは学問のある無しにかかわらず、異様なおそるべき残忍性を蔵しているもののようでございまして、そのくせまた、女子は弱いと言い、之をいたわってもらいたいと言い、そうかと思うと、男は男らしくあって欲しいと言い、男らしさとはいったいどんなものだか、大いに男らしいところを発揮して女に好かれようとすると、これは乱暴でいけないと言われ、そうして深刻な手痛い復讐《ふくしゅう》をされて、もうどうしたらいいのか、こちらへ単身都落ちして来ましてからも、十年間、私は当然、弟の女房や、またその女房の妹だの叔母だの、何やらかやらの女どものために、複雑奇妙の攻撃を受け、この世に女のいるあいだは、私の身の置き場がどこにも無いのではなかろうかと、ほとほと手を焼いて居りましたら、このたび民主主義の黎明《れいめい》が訪れてまいりまして、新憲法に依って男女同権がはっきり決定せられましたようで、まことに御同慶のいたり、もうこれからは、女子は弱いなどとは言わせません、なにせ同権なのでございますからなあ、実に愉快、なんの遠慮も無く、庇《かば》うところも無く、思うさま女性の悪口を言えるようになって、言論の自由のありがたさも、ここに於いて極点に達した観がございまして、あの婆さん教授に依って詩の舌を根こそぎむしり取られました私も、まだ女性を訴える舌だけは、この新憲法の男女同権、言論の自由に依って許されている筈でございますから、私のこれからの余生は挙げて、この女性の暴力の摘発にささげるつもりでございます。



底本:「太宰治全集8」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(平成元)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:石川友子
2000年4月19日公開
2005年11月2日修正
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