ながら驚歎の念を禁じ得ないものがございます。新聞配達もいたしました。バタヤも致しました。立ちん棒もいたしました。屋台店もひらきました。ミルクホールのようなものもやってみました。けしからぬ写真や絵を売って歩いた事もございました。インチキ新聞の記者になったり、暴力団の走り使いになったり、とにかく、ダメな男に出来る仕事の全部をやったと言っても決して言い過ぎではないかと存じます。そうして、そのダメな男は、いよいよただおのずからダメになるばかりで、ついに単身ボロをまとって都落ちをして、いまは弟の居候《いそうろう》という事になって何一つ見るべきところの無い生涯で、いまさら誰をも、うらむ資格も何もございませんが、けれども、それでも、ああ、あの時あの女が、あれほど私に意地悪くしなかったならば、私も多少のプライドと力を得て、ダメはダメなりに何とか形のついた男になっていたのではなかろうかしら、と老いの寝ざめに、わが幼少からの悲惨な女難のかずかずを反芻《はんすう》してみて、やっぱり、胸をかきむしりたい思いに駆られる事もございますのです。
私は東京に於いて、三人の女房に逃げられました。最初の女房もひどい奴で
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