やっぱり、何が何でもひたすらお断りするのが本当であったと、後悔ほぞを噛《か》んでいる次第でございます。
 いったい私は、いまではダメな老人である事はもちろんでございますが、それならば、若い時の、せめて或る一時期に於いて、ダメでない頃があったかと申しますると、これもまた全然ダメだったのでございます。私が東京に於いて或るほんの一時期、これでも多少、まあ、わずかな人たちのあいだで、問題にされた事もあったと、まあ、言って言えない事もないと思いますが、しかし、その問題にされ方が、如何《いか》に私がダメな男であるか、おそらくは日本で何人と数えられるほどダメな男ではなかろうか、という事に就いて問題にされたのでありまして、その頃、私の代表作と言われていた詩集の題は、「われ、あまりに愚かしければ、詐欺師《さぎし》もかえって銭《ぜに》を与う」というのでありまして、之《これ》を以《もっ》てみても、私の文名たるや、それは尊敬の対象では無く、呆れられ笑われ、また極めて少数の情深い人たちからは、なぐさめられ、いたわられ、わずかに呼吸しているという性質のものであったという事がおわかりでございましょう。甚《はなは》だ妙な言い方でございますが、つまりその頃の私の存在価値は、そのダメなところにだけ在ったのでして、もし私がダメでなかったら、私の存在価値が何も、全然、無くなるという、まことに我ながら奇怪閉口の位置に立たされていたのでございます。しかし、私も若干|馬齢《ばれい》を加えるに及び、そのような風変りの位置が、一個の男児としてどのように不面目、破廉恥《はれんち》なものであるかに気づいていたたまらなくなりまして、「こぞの道徳いまいずこ」という題の、多少、分別顔の詩集を出版いたしましたところ、一ぺんで私は完全にダメになりました。ダメのまた下のダメという、謂《い》わば「ほんもの」のダメという事になりまして、私は詩壇に於いて失脚し、また、それまでの言語に絶した窮乏生活の悪戦苦闘にも疲れ果て、ついに秋風と共に単身都落ちというだらし無い運命に立ちいたったのでございます。
 つまり私という老人は、何一つ見るべきところが無い、それが私の本領、などと言って居直って威張り得る筋合いの事では決してございませんが、そのような男が、この地方の教育会のお歴々に向って、いったい何を講演したらよろしいのでありましょうか。残酷とは、
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