望の念こそ、この疑問を解く重要な鍵なのではなかろうか。
ああ、あの間抜けた一言が、私に罪を犯させた。思い出すさえ恐ろしい殺人の罪を犯させた。しかも誰ひとりにも知られず、また、いまもって知られぬ殺人の罪を。
私は、その夜、番頭の持って来た宿帳に、ある新進作家の名前を記入した。年齢二十八歳。職業は著述。
三
二三日ぶらぶらしているうちに、私にも、どうやら落ちつきが出て来た。ただ、名前を変えたぐらい、なんの罪があるものか。万が一、見つかったとしても、冗談だとして笑ってすませることである。若いときには、誰しもいちどはやることなのにちがいない。そう思って落ちついた。しかし、私の良心は、まだうずうずしていた。大作家の素質に絶望した青年が、つまらぬ一新進作家の名をかたって、せめても心やりにしているということは、実にみじめで、悲惨なことではないか、と思えば、私はいても立っても居られぬ気持であった。けれども、その慚愧《ざんき》の念さえ次第にうすらぎ、この温泉地へ来て、一週間目ぐらいには、もう私はまったくのんきな湯治客になり切っていた。新進作家としての私へのもてなしが、わるくなかったからである。私の部屋へ来る女中の大半は、私に、「書けますでしょうか。」とおそるおそる尋ねるのだった。私は、ただなごやかな微笑をもってむくいるのだった。朝、私が湯殿へ行く途中、逢う女中がすべて、「先生、おはようございます。」と言うのだった。私が先生と言われたのは、あとにもさきにもこのときだけである。
作家としての栄光の、このように易々《やすやす》と得られたことが、私にとって意外であった。窮すれば通ず、という俗言をさえ、私は苦笑しながら呟いたものであった。もはや、私は新進作家である。誰ひとり疑うひとがなかった。ときどきは、私自身でさえ疑わなかった。
私は部屋の机のうえに原稿用紙をひろげて、「初恋の記」と題目をおおきく書き、それから、或る新進作家の名前を――いまは私の名前を、書き、それから、二三行書いたり消したりして苦心の跡を見せ、それを女中たちに見えるように、わざと机のうえに置きっぱなしにして、顔をしかめながら、そとへ散歩に出るのだった。
そのようなことをして、私はなおも二三日を有頂天になってすごしたのである。夜、寝てから、私はそれでも少し心配になることがあった。若《も》し、ほん
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