なるとかの噂《うわさ》がもっぱらである。家の者たちは、兄のからだを心配している。
 いろいろの客が来る。兄はいちいちその人たちを二階の応接間にあげて話して、疲れたとは言わない。きのうは、新内《しんない》の女師匠が来た。富士太夫の第一の門弟だという。二階の金襖《きんぶすま》の部屋で、その師匠が兄に新内を語って聞かせた。私もお附合いに、聞かせてもらう事になった。明烏《あけがらす》と累《かさね》身売りの段を語った。私は聞いていて、膝《ひざ》がしびれてかなりの苦痛を味い、かぜをひいたような気持になったが、病身の兄は、一向に平気で、さらに所望し、後正夢《のちのまさゆめ》と蘭蝶を語ってもらい、それがすんでから、皆は応接間のほうに席を移し、その時に兄は、
「こんな時代ですから、田舎《いなか》に疎開なさって畑を作らなければならぬというのも、お気の毒な身の上ですが、しかし、芸事というものは、心掛けさえしっかりして居れば、一年や二年、さみせんと離れていても、決して芸が下るものではありません。あなたも、これからです。これからだと思います。」
 と、東京でも有名なその女師匠に、全くの素人《しろうと》でいながら、悪びれもせず堂々と言ってのけている。
「大きい!」と大向うから声がかかりそうな有様であった。
 兄がいま尊敬している文人は、日本では荷風《かふう》と潤一郎らしい。それから、支那《しな》のエッセイストたちの作品を愛読している。あすは、呉清源《ごせいげん》が、この家へ兄を訪ねてやって来るという。碁《ご》の話ではなく、いろいろ世相の事など、ゆっくり語り合う事になるらしい。
 兄は、けさは早く起きて、庭の草むしりをはじめているようだ。野蛮人の弟は、きのうの新内で、かぜをひいたらしく、離れの奥の間で火鉢《ひばち》をかかえて坐って、兄の草むしりの手伝いをしようかどうしようかと思い迷っている形である。呉清源という人も、案外、草ぼうぼうの廃園も悪くないと感じる組であるまいか、など自分に都合のいいような勝手な想像をめぐらしながら。



底本:「太宰治全集8」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(平成元)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月から1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:もりみつじゅんじ
2000年2月1日公開
前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング