私はいつでも何かの態度をつくつてゐたのである。私のいちいちのこまかい仕草にも、彼は当惑して掌を眺めた、彼は耳の裏を掻きながら呟いた、などと傍から傍から説明句をつけてゐたのであるから、私にとつて、ふと、とか、われしらず、とかいふ動作はあり得なかつたのである。橋の上での放心から覚めたのち、私は寂しさにわくわくした。そんな気持のときには、私もまた、自分の来しかた行末を考へた。橋をかたかた渡りながら、いろんな事を思ひ出し、また夢想した。そして、おしまひに溜息ついてかう考へた。えらくなれるかしら。
(中略)
なにはさてお前は衆にすぐれてゐなければいけないのだ、といふ脅迫めいた考へからであつたが、じじつ私は勉強してゐたのである。三年生になつてからは、いつもクラスの首席であつた。てんとりむしと言はれずに首席となることは困難であつたが、私はそのやうな嘲りを受けなかつた許りか、級友を手ならす術まで心得てゐた。蛸といふあだなの柔道の主将さへ私には従順であつた。教室の隅に紙屑入の大きな壺があつて、私はときたまそれを指さして、蛸、つぼへはひらないかと言へば、蛸はその壺へ頭をいれて笑ふのだ。笑ひ声が壺に響いて異様な音をたてた。クラスの美少年たちもたいてい私になついてゐた。私が顔の吹出物へ、三角形や六角形や花の形に切つた絆創膏をてんてんと貼り散らしても誰も可笑しがらなかつた程なのである。
私はこの吹出物には心をなやまされた。そのじぶんにはいよいよ数も殖えて、毎朝、眼をさますたびに掌で顔を撫でまはしてその有様をしらべた。いろいろな薬を買つてつけたが、ききめがないのである。私はそれを薬屋へ買ひに行くときには、紙きれへその薬の名を書いて、こんな薬がありますかつて、と他人から頼まれたふうにして言はなければいけなかつたのである。私はその吹出物を欲情の象徴と考へて眼の先が暗くなるほど恥しかつた。いつそ死んでやつたらと思ふことさへあつた。私の顔に就いてのうちの人たちの不評判も絶頂に達してゐた。他家へとついでゐた私のいちばん上の姉は、治のところへは嫁に来るひとがあるまい、とまで言つてゐたさうである。私はせつせと薬をつけた。
弟も私の吹出物を心配して、なんべんとなく私の代りに薬を買ひに行つて呉れた。私と弟とは子供のときから仲がわるくて、弟が中学へ受験する折にも、私は彼の失敗を願つたほどであつたけれど、かうしてふたりで故郷から離れて見ると、私にも弟のよい気質がだんだん判つて来たのである。弟は大きくなるにつれて無口で内気になつてゐた。私たちの同人雑誌にもときどき小品文を出してゐたが、みんな気の弱々した文章であつた。私にくらべて学校の成績がよくないのを絶えず苦にしてゐて、私がなぐさめでもするとかへつて不気嫌になつた。また、自分の額の生えぎはが富士のかたちになつて女みたいなのをいまいましがつてゐた。額がせまいから頭がこんなに悪いのだと固く信じてゐたのである。私はこの弟にだけはなにもかも許した。私はその頃、人と対するときには、みんな押し隠して了ふか、みんなさらけ出して了ふか、どちらかであつたのである。私たちはなんでも打ち明けて話した。
秋のはじめの或る月のない夜に、私たちは港の桟橋へ出て、海峡を渡つてくるいい風にはたはたと吹かれながら赤い糸について話合つた。それはいつか学校の国語の教師が授業中に生徒へ語つて聞かせたことであつて、私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い糸がむすばれてゐて、それがするすると長く伸びて一方の端がきつと或る女の子のおなじ足指にむすびつけられてゐるのである。ふたりがどんなに離れてゐてもその糸は切れない、どんなに近づいても、たとひ往来で逢つても、その糸はこんぐらかることがない、さうして私たちはその女の子を嫁にもらふことにきまつてゐるのである。私はこの話をはじめて聞いたときには、かなり興奮して、うちへ帰つてからもすぐ弟に物語つてやつたほどであつた。私たちはその夜も、波の音や、かもめの声に耳傾けつつ、その話をした。お前のワイフは今ごろどうしてるべなあ、と弟に聞いたら、弟は桟橋のらんかんを二三度両手でゆりうごかしてから、庭あるいてる、ときまり悪げに言つた。大きい庭下駄をはいて、団扇をもつて、月見草を眺めてゐる少女は、いかにも弟と似つかはしく思はれた。私のを語る番であつたが、私は真暗い海に眼をやつたまま、赤い帯しめての、とだけ言つて口を噤んだ。海峡を渡つて来る連絡船が、大きい宿屋みたいにたくさんの部屋部屋へ黄色いあかりをともして、ゆらゆらと水平線から浮んで出た。」
この弟は、それから二、三年後に死んだが、当時、私たちは、この桟橋に行く事を好んだ。冬、雪の降る夜も、傘をさして弟と二人でこの桟橋に行つた。深い港の海に、雪がひそひそ降つてゐるのはいいものだ。最近は青森
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