る。もう、それつきりで、あとは無いニいふ事であつた。一時三十分のバスで帰る事にきめた。もう三十分くらゐあひだがある。少しおなかもすいて来てゐる。私は発着所の近くの薄暗い宿屋へ這入つて、「大急ぎでひるめしを食べたいのですが。」と言ひ、また内心は、やつぱり未練のやうなものがあつて、もしこの宿が感じがよかつたら、ここで四時頃まで休ませてもらつて、などと考へてもゐたのであるが、断られた。けふは内の者がみな運動会へ行つてゐるので、何も出来ませんと病人らしいおかみさんが、奥の方からちらと顔をのぞかせて冷い返辞をしたのである。いよいよ帰ることにきめて、バスの発着所のベンチに腰をおろし、十分くらゐ休んでまた立ち上り、ぶらぶらその辺を歩いて、それぢやあ、もういちど、たけの留守宅の前まで行つて、ひと知れず今生《こんじやう》のいとま乞ひでもして来ようと苦笑しながら、金物屋の前まで行き、ふと見ると、入口の南京錠がはづれてゐる。さうして戸が二、三寸あいてゐる。天のたすけ! と勇気百倍、グワラリといふ品の悪い形容でも使はなければ間に合はないほど勢ひ込んでガラス戸を押しあげ、
「ごめん下さい、ごめん下さい。」
「はい。」と奥から返事があつて、十四、五の水兵服を着た女の子が顔を出した。私は、その子の顔によつて、たけの顔をはつきり思ひ出した。もはや遠慮をせず、土間の奥のその子のそばまで寄つて行つて、
「金木の津島です。」と名乗つた。
少女は、あ、と言つて笑つた。津島の子供を育てたといふ事を、たけは、自分の子供たちにもかねがね言つて聞かせてゐたのかも知れない。もうそれだけで、私とその少女の間に、一切の他人行儀が無くなつた。ありがたいものだと思つた。私は、たけの子だ。女中の子だつて何だつてかまはない。私は大声で言へる。私は、たけの子だ。兄たちに軽蔑されたつていい。私は、この少女ときやうだいだ。
「ああ、よかつた。」私は思はずさう口走つて、「たけは? まだ、運動会?」
「さう。」少女も私に対しては毫末の警戒も含羞もなく、落ちついて首肯き、「私は腹がいたくて、いま、薬をとりに帰つたの。」気の毒だが、その腹いたが、よかつたのだ。腹いたに感謝だ。この子をつかまへたからには、もう安心。大丈夫たけに逢へる。もう何が何でもこの子に縋つて、離れなけれやいいのだ。
「ずいぶん運動場を捜し廻つたんだが、見つからなかつた。
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