浦の町奉行の置かれたところで、津軽藩の最も重要な港の一つであつた。丘間に一小湾をなし、水深く波穏やか、吾妻浜の奇巖、弁天嶋、行合岬など一とほり海岸の名勝がそろつてゐる。しづかな町だ。漁師の家の庭には、大きい立派な潜水服が、さかさに吊されて干されてゐる。何かあきらめた、底落ちつきに落ちついてゐる感じがする。駅からまつすぐに一本路をとほつて、町のはづれに、円覚寺の仁王門がある。この寺の薬師堂は、国宝に指定せられてゐるといふ。私は、それにおまゐりして、もうこれで、この深浦から引上げようかと思つた。完成されてゐる町は、また旅人に、わびしい感じを与へるものだ。私は海浜に降りて、岩に腰をかけ、どうしようかと大いに迷つた。まだ日は高い。東京の草屋の子供の事など、ふと思つた。なるべく思ひ出さないやうにしてゐるのだが、心の空虚の隙《すき》をねらつて、ひよいと子供の面影が胸に飛び込む。私は立ち上つて町の郵便局へ行き、葉書を一枚買つて、東京の留守宅へ短いたよりを認めた。子供は百日咳をやつてゐるのである。さうして、その母は、二番目の子供を近く生むのである。たまらない気持がして私は行きあたりばつたりの宿屋へ這入り、汚い部屋に案内され、ゲートルを解きながら、お酒を、と言つた。すぐにお膳とお酒が出た。意外なほど早かつた。私はその早さに、少し救はれた。部屋は汚いが、お膳の上には鯛と鮑の二種類の材料でいろいろに料理されたものが豊富に載せられてある。鯛と鮑がこの港の特産物のやうである。お酒を二本飲んだが、まだ寝るには早い。津軽へやつてきて以来、人のごちそうにばかりなつてゐたが、けふは一つ、自力で、うんとお酒を飲んで見ようかしら、とつまらぬ考へを起し、さつきお膳を持つて来た十二、三歳の娘さんを廊下でつかまへ、お酒はもう無いか、と聞くと、ございません、といふ。どこか他に飲むところは無いかと聞くと、ございます、と言下に答へた。ほつとして、その飲ませる家はどこだ、と聞いて、その家を教はり、行つて見ると、意外に小綺麗な料亭であつた。二階の十畳くらゐの、海の見える部屋に案内され、津軽塗の食卓に向つて大あぐらをかき、酒、酒、と言つた。お酒だけ、すぐに持つて来た。これも有難かつた。たいてい料理で手間取つて、客をぽつんと待たせるものだが、四十年配の前歯の欠けたをホさんが、お銚子だけ持つてすぐに来た。私は、そのをばさんか
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