が唐突である。こんな薄汚いなりをして、Mさんしばらく、などと何の用も無いのに卑屈に笑つて声をかけたら、Mさんはぎよつとして、こいついよいよ東京を食ひつめて、金でも借りに来たんぢやないか、などと思やすまいか。死ぬまへにいちど、父の生れた家を見たくて、といふのも、おそろしいくらゐに気障《きざ》だ。男が、いいとしをして、そんな事はとても言へたもんぢやない。いつそこのまま帰らうか、などと悶えて歩いてゐるうちに、またもとのM薬品問屋の前に来た。もう二度と、来る機会はないのだ。恥をかいてもかまはない。はひらう。私は、とつさに覚悟をきめて、ごめん下さい、と店の奥のはうに声をかけた。Mさんが出て来て、やあ、ほう、これは、さあさあ、とたいへんな勢ひで私には何も言はせず、引つぱり上げるやうに座敷へ上げて、床の間の前に無理矢理坐らせてしまつた。ああ、これ、お酒、とお家の人たちに言ひつけて、二、三分も経たぬうちに、もうお酒が出た。実に、素早かつた。
「久し振り。久し振り。」とMさんはご自分でもぐいぐい飲んで、「木造は何年振りくらゐです。」
「さあ、もし子供の時に来た事があるとすれば、三十年振りくらゐでせう。」
「さうだらうとも、さうだらうとも。さあさ、飲みなさい。木造へ来て遠慮する事はない。よく来た。実に、よく来た。」
 この家の間取りは、金木の家の間取りとたいへん似てゐる。金木のいまの家は、私の父が金木へ養子に来て間もなく自身の設計で大改築したものだといふ話を聞いてゐるが、何の事は無い、父は金木へ来て自分の木造の生家と同じ間取りに作り直しただけの事なのだ。私には養子の父の心理が何かわかるやうな気がして、微笑ましかつた。さう思つて見ると、お庭の木石の配置なども、どこやら似てゐる。私はそんなつまらぬ一事を発見しただけでも、死んだ父の「人間」に触れたやうな気がして、このMさんのお家へ立寄つた甲斐があつたと思つた。Mさんは、何かと私をもてなさうとする。
「いや、もういいんだ。一時の汽車で、深浦へ行かなければいけないのです。」
「深浦へ? 何しに?」
「べつに、どうつてわけも無いけど、いちど見て置きたいのです。」
「書くのか?」
「ええ、それもあるんだけど、」いつ死ぬかわからんし、などと相手に興覚めさせるやうな事は言へなかつた。
「ぢやあ、木造の事も書くんだな。木造の事を書くんだつたらね、」とMさ
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