古池や、無類なり。」
翌る日は、上天気だつた。姪の陽子と、そのお婿さんと、私と、それからアヤが皆のお弁当を背負つて、四人で、金木町から一里ほど東の高流《たかながれ》と称する二百メートル足らずの、なだらかな小山に遊びに行つた。アヤ、と言つても、女の名前ではない。ぢいや、といふ程の意味である。お父さん、といふ意味にも使はれる。アヤに対する Femme は、アパである。アバとも言ふ。どういふところから、これらの言葉が起つて来たのか、私には、わからない。オヤ、オバの訛りか、などと当てずつぱうしてみたつてはじまらない。諸家の諸説がある事であらう。高流といふ山の名前も、姪の説に依ると、高長根《たかながね》といふのが正しい呼び方で、なだらかに裾のひろがつてゐるさまが、さながら長根の感じとか何とかといふ事であつたが、これにもまた諸家の諸説があるのであらう。諸家の諸説が紛々として帰趨の定まらぬところに、郷土学の妙味がある様子である。姪とアヤは、お弁当や何かで手間取つてゐるので、お婿さんと私とだけ、一足さきに家を出た。よい天気である。津軽の旅行は、五、六月に限る。れいの「東遊記」にも、「昔より北地に遊ぶ人は皆夏ばかりなれば、草木も青み渡り、風も南風に変り、海づらものどかなれば、恐ろしき名にも立ざる事と覚ゆ。我北地に到りしは、九月より三月の頃なれば、途中にて旅人には絶えて逢ふ事なかりし。我旅行は医術修行の為なれば、格別の事なり。只名所をのみ探らんとの心にて行く人は必ず四月以後に行くべき国なり。」としてあるが、旅行の達人の言として、読者もこれだけは信じて、覚えて置くがよい。津軽では、梅、桃、桜、林檎、梨、すもも、一度にこの頃、花が咲くのである。自信ありげに、私が先に立つて町はづれまで歩いて来たが、高流へ行く路がわからない。小学校の頃に二、三度行つた事があるきりなのだから、忘れるのも無理はないとも思つたが、しかし、その辺の様子が、幼い頃の記憶とまるで違つてゐる。私は当惑して、
「停車場や何か出来て、この辺は、すつかり変つて、高流には、どう行けばいいのか、わからなくなりました。あの山なんですがね。」と私は、前方に見える、への字形に盛りあがつた薄みどり色の丘陵を指差して言つた。「この辺で、少しぶらぶらして、アヤたちを待つ事にしませう。」とお婿さんに笑ひながら提案した。
「さうしませう。」とお婿
前へ
次へ
全114ページ中79ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング