に横たえ、忠義顔して、かつての友に吠え、兄弟、父母をも、けろりと忘却し、ただひたすらに飼主の顔色を伺い、阿諛《あゆ》追従《ついしょう》てんとして恥じず、ぶたれても、きゃんといい尻尾《しっぽ》まいて閉口してみせて、家人を笑わせ、その精神の卑劣、醜怪、犬畜生とはよくもいった。日に十里を楽々と走破しうる健脚を有し、獅子をも斃《たお》す白光鋭利の牙《きば》を持ちながら、懶惰《らんだ》無頼《ぶらい》の腐りはてたいやしい根性をはばからず発揮し、一片の矜持《きょうじ》なく、てもなく人間界に屈服し、隷属《れいぞく》し、同族互いに敵視して、顔つきあわせると吠えあい、噛みあい、もって人間の御機嫌をとり結ぼうと努めている。雀を見よ。何ひとつ武器を持たぬ繊弱の小禽《しょうきん》ながら、自由を確保し、人間界とはまったく別個の小社会を営み、同類相親しみ、欣然《きんぜん》日々の貧しい生活を歌い楽しんでいるではないか。思えば、思うほど、犬は不潔だ。犬はいやだ。なんだか自分に似ているところさえあるような気がして、いよいよ、いやだ。たまらないのである。その犬が、私を特に好んで、尾を振って親愛の情を表明してくるに及んでは、狼狽《ろうばい》とも、無念とも、なんとも、いいようがない。あまりに犬の猛獣性を畏敬し、買いかぶり節度もなく媚笑《びしょう》を撒《ま》きちらして歩いたゆえ、犬は、かえって知己を得たものと誤解し、私を組みしやすしとみてとって、このような情ない結果に立ちいたったのであろうが、何事によらず、ものには節度が大切である。私は、いまだに、どうも、節度を知らぬ。
早春のこと。夕食の少しまえに、私はすぐ近くの四十九聯隊の練兵場へ散歩に出て、二、三の犬が私のあとについてきて、いまにも踵《かかと》をがぶりとやられはせぬかと生きた気もせず、けれども毎度のことであり、観念して無心平生を装い、ぱっと脱兎《だっと》のごとく逃げたい衝動を懸命に抑え、抑え、ぶらりぶらり歩いた。犬は私についてきながら、みちみちお互いに喧嘩などはじめて、私は、わざと振りかえって見もせず、知らぬふりして歩いているのだが、内心、じつに閉口であった。ピストルでもあったなら、躊躇《ちゅうちょ》せずドカンドカンと射殺してしまいたい気持であった。犬は、私にそのような、外面如菩薩《げめんにょぼさつ》、内心如夜叉《ないしんにょやしゃ》的の奸佞《かんねい》の害心があるとも知らず、どこまでもついてくる。練兵場をぐるりと一廻りして、私はやはり犬に慕われながら帰途についた。家へ帰りつくまでには、背後の犬もどこかへ雲散霧消《うんさんむしょう》しているのが、これまでの、しきたりであったのだが、その日に限って、ひどく執拗《しつよう》で馴《な》れ馴れしいのが一匹いた。真黒の、見るかげもない小犬である。ずいぶん小さい。胴の長さ五寸の感じである。けれども、小さいからといって油断はできない。歯は、すでにちゃんと生えそろっているはずである。噛まれたら病院に三、七、二十一日間通わなければならぬ。それにこのような幼少なものには常識がないから、したがって気まぐれである。いっそう用心をしなければならぬ。小犬は後になり、さきになり、私の顔を振り仰ぎ、よたよた走って、とうとう私の家の玄関まで、ついてきた。
「おい。へんなものが、ついてきたよ」
「おや、可愛い」
「可愛いもんか。追っ払ってくれ、手荒くすると喰いつくぜ、お菓子でもやって」
れいの軟弱外交である。小犬は、たちまち私の内心畏怖の情を見抜き、それにつけこみ、ずうずうしくもそれから、ずるずる私の家に住みこんでしまった。そうしてこの犬は、三月、四月、五月、六、七、八、そろそろ秋風吹きはじめてきた現在にいたるまで、私の家にいるのである。私は、この犬には、幾度泣かされたかわからない。どうにも始末ができないのである。私はしかたなく、この犬を、ポチなどと呼んでいるのであるが、半年もともに住んでいながら、いまだに私は、このポチを、一家のものとは思えない。他人の気がするのである。しっくりゆかない。不和である。お互い心理の読みあいに火花を散らして戦っている。そうしてお互い、どうしても釈然《しゃくぜん》と笑いあうことができないのである。
はじめこの家にやってきたころは、まだ子供で、地べたの蟻《あり》を不審そうに観察したり、蝦蟇《がま》を恐れて悲鳴を挙げたり、その様には私も思わず失笑することがあって、憎いやつであるが、これも神様の御心によってこの家へ迷いこんでくることになったのかもしれぬと、縁の下に寝床を作ってやったし、食い物も乳幼児むきに軟らかく煮て与えてやったし、蚤取粉《のみとりこ》などからだに振りかけてやったものだ。けれども、ひとつき経つと、もういけない。そろそろ駄犬の本領を発揮してきた。いやしい。もと
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