に読みきれるものではない。私は、ほとんど絶望した。そうして、はなはだ拙劣《せつれつ》な、無能きわまる一法を案出した。あわれな窮余の一策である。私は、とにかく、犬に出逢うと、満面に微笑を湛《たた》えて、いささかも害心のないことを示すことにした。夜は、その微笑が見えないかもしれないから、無邪気に童謡を口ずさみ、やさしい人間であることを知らせようと努めた。これらは、多少、効果があったような気がする。犬は私には、いまだ飛びかかってこない。けれどもあくまで油断は禁物である。犬の傍を通る時は、どんなに恐ろしくても、絶対に走ってはならぬ。にこにこ卑しい追従笑《ついしょうわら》いを浮べて、無心そうに首を振り、ゆっくり、ゆっくり、内心、背中に毛虫が十匹|這《は》っているような窒息《ちっそく》せんばかりの悪寒《おかん》にやられながらも、ゆっくりゆっくり通るのである。つくづく自身の卑屈がいやになる。泣きたいほどの自己嫌悪を覚えるのであるが、これを行わないと、たちまち噛みつかれるような気がして、私は、あらゆる犬にあわれな挨拶を試みる。髪をあまりに長く伸ばしていると、あるいはウロンの者として吠えられるかもしれないから、あれほどいやだった床屋へも精出してゆくことにした。ステッキなど持って歩くと、犬のほうで威嚇《いかく》の武器と勘《かん》ちがいして、反抗心を起すようなことがあってはならぬから、ステッキは永遠に廃棄《はいき》することにした。犬の心理を計りかねて、ただ行き当りばったり、むやみやたらに御機嫌とっているうちに、ここに意外の現象が現われた。私は、犬に好かれてしまったのである。尾を振って、ぞろぞろ後についてくる。私は、じだんだ踏んだ。じつに皮肉である。かねがね私の、こころよからず思い、また最近にいたっては憎悪の極点にまで達している、その当の畜犬に好かれるくらいならば、いっそ私は駱駝《らくだ》に慕われたいほどである。どんな悪女にでも、好かれて気持の悪いはずはない、というのはそれは浅薄《せんぱく》の想定である。プライドが、虫が、どうしてもそれを許容できない場合がある。堪忍《かんにん》ならぬのである。私は、犬をきらいなのである。早くからその狂暴の猛獣性を看破し、こころよからず思っているのである。たかだか日に一度や二度の残飯の投与にあずからんがために、友を売り、妻を離別し、おのれの身ひとつ、家の軒下
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