た。犬はその時、いやな横目を使ったという。何事もなく通りすぎた、とたん、わんといって右の脚《あし》に喰いついたという。災難である。一瞬のことである。友人は、呆然自失《ぼうぜんじしつ》したという。ややあって、くやし涙が沸いて出た。さもありなん、と私は、やはり淋しく首肯している。そうなってしまったら、ほんとうに、どうしようも、ないではないか。友人は、痛む脚をひきずって病院へ行き手当を受けた。それから二十一日間、病院へ通ったのである。三週間である。脚の傷がなおっても、体内に恐水病といういまわしい病気の毒が、あるいは注入されてあるかもしれぬという懸念《けねん》から、その防毒の注射をしてもらわなければならぬのである。飼い主に談判するなど、その友人の弱気をもってしては、とてもできぬことである。じっと堪《こら》えて、おのれの不運に溜息《ためいき》ついているだけなのである。しかも、注射代などけっして安いものではなく、そのような余分の貯《たくわ》えは失礼ながら友人にあるはずもなく、いずれは苦しい算段をしたにちがいないので、とにかくこれは、ひどい災難である。大災難である。また、うっかり注射でも怠《おこた》ろうものなら、恐水病といって、発熱悩乱の苦しみあって、果ては貌《かお》が犬に似てきて、四つ這《ば》いになり、ただわんわんと吠ゆるばかりだという、そんな凄惨《せいさん》な病気になるかもしれないということなのである。注射を受けながらの、友人の憂慮、不安は、どんなだったろう。友人は苦労人で、ちゃんとできた人であるから、醜くとり乱すこともなく、三七、二十一日病院に通い、注射を受けて、いまは元気に立ち働いているが、もしこれが私だったら、その犬、生かしておかないだろう。私は、人の三倍も四倍も復讐心《ふくしゅうしん》の強い男なのであるから、また、そうなると人の五倍も六倍も残忍性を発揮してしまう男なのであるから、たちどころにその犬の頭蓋骨《ずがいこつ》を、めちゃめちゃに粉砕《ふんさい》し、眼玉をくり抜き、ぐしゃぐしゃに噛んで、べっと吐き捨て、それでも足りずに近所近辺の飼い犬ことごとく毒殺してしまうであろう。こちらが何もせぬのに、突然わんといって噛みつくとはなんという無礼、狂暴の仕草《しぐさ》であろう。いかに畜生といえども許しがたい。畜生ふびんのゆえをもって、人はこれを甘やかしているからいけないのだ。容
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