、エンゲルス両先生を、と言いたいところでもあろうが、いやいや、レニン先生を、と言いたいところでもあろうが、この作者、元来、言行一致ということに奇妙なほどこだわっている男で、いやいや、そう言ってもいけない、この作者、元来、非惨を愛する趣味家であって、安心立命の境地を目して、すべて崩壊の前提となし、ああ、あとの言葉は、諸兄のうち、心ある者、つづけ給え。
 このように、作者は、ものぐさである。ずるい。煮ても焼いても食えない境地にまで達しているようである。憎いか?
 憎いことはないだろう。私は、いまのこの世の中に最も適した表現を以て、諸兄に話かけているだけなのである。私は、いまのこの現実を愛する。冗談から駒の出る現実を。
 判るかね? 不愉快かね?
 君自身、おのれの不愉快な存在であることに気づかなければいけない。君は、無力だ。
 非難は、自身の弱さから。いたわりは、自身の強さから。恥じるがいい。
 自己弁解でない文章を読みたい。
 作家というものは、ずいぶん見栄坊であって、自分のひそかに苦心した作品など、苦心しなかったようにして誇示したいものだ。
 私は、私の最初の短篇集『晩年』二百四十一頁
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング