、いいのだ。こんなに雨が降っているし、セルならば、すぐよれよれになってしまう。」どうしても、あれを、はいて行きたかったのである。
「セルが、いいのよ。」家内は、歎願の口調になった。「濡れないように風呂敷にお包みになって持っていらっしゃったら? 向うに着いてから、おはきになればいい。」
「そうしよう。」私は、あきらめた。
風呂敷に、足袋《たび》と、セルの袴とを包んでもらって、尻はしょりし、雨の中を傘さして出掛けた。何だか悪い予感があった。
宴会の場所は、日比谷公園の中の、有名な西洋料理屋である。午後五時半と指定されていたのであるが、途中バスの聯絡が悪くて、私は六時すぎに到着した。はきもの係りの青年に、こっそり頼んで玄関傍の小部屋を借り、そこで身なりを調えた。その部屋では、上品な洋服の、青白い顔をした十歳くらいの男の子が、だらし無く坐ってもぐもぐ菓子を食いながら、家庭教師に算術を教えてもらっていた。この料理屋の秘蔵息子なのかも知れない。家庭教師のほうは、二十七八の、白く太った、落ちついている女性で、ロイド眼鏡を掛けていた。私が部屋の隅で帯を締め直し、風呂敷包みをほどいて足袋をはき、それからもそもそ、セルの袴をいじくっているのを、哀れと思ったのか、黙って立って来て、袴はくのを手伝ってくれた。袴の紐《ひも》を、まえに蝶の形にきちんと結んでくれた。私は、簡単にお礼を言って小走りにその部屋を出て、それから、わざとゆっくり正面の階段を昇り、途中で蝶の形をほどいてしまった。よごれたよれよれの紐で蝶の形は、てれくさく、みじめで閉口であったのである。
会場へ一歩、足を踏み込むときは、私は、鼻じろむほどに緊張していた。今である。故郷に於ける十年来の不名誉を恢復《かいふく》するのは、いまである。名士の振りをしろ、名士の。とんと私の肩を叩いたものがある。見ると、甲野嘉一君である。私は、自分の歯の汚いのも忘れて、笑ってしまった。甲野嘉一君とは、十年来の友人である。同郷のゆえを以て交っているのでは無い。甲野君が、誠実の芸術家であるから、私が求めて友人にしてもらっているのである。甲野嘉一君も、笑った。私は、更に笑った。つつましく控えることを忘れてしまったのである。
宴会の席が定まった。私は、まさしく文字どおりの末席であった。どさくさして、まあまあなどと言い合っているうちに、私は末席になっていたのである。けれども、十のうち三分は、意識して、末席を選んだようなところもあった。それは、この会合への尊敬のゆえでは無くして、かえって反撥のゆえであったような気もする。反撥どころか、私は、不遜な蔑視の念をさえ持っていたような気もする。私にも、正確なところは判らない。とにかく、私は末席にいたのである。そうして私は、確かに居心地がよかった。これでよし、いまからでも名誉挽回が出来るかも知れぬ、と私は素直に喜んでいた。ところが、それからが、いけなかった。私の、それからの態度は、実に悪かったのである。全然、駄目であったのである。
私は、よくよく、駄目な男だ。少しも立派で無いのである。私は故郷に甘えている。故郷の雰囲気に触れると、まるで身体が、だるくなり、我儘が出てしまって、殆《ほとん》ど自制を失うのである。自分でも、おやおやと思うほど駄目になって、意志のブレーキが溶けて消えてしまうのである。ただ胸が不快にごとごと鳴って、全身のネジが弛《ゆる》み、どうしても気取ることが出来ないのである。次々と、山海の珍味が出て来るのであるが、私は胸が一ぱいで、食べることができない。何も食べずに、酒ばかり呑んだ。がぶ、がぶ呑んだのである。雨のため、部屋の窓が全部しめ切られて在るので、蒸し暑く、私は酒が全身に廻って、ふうふう言い、私の顔は、茹蛸《ゆでだこ》のように見えたであろう。いけない。こんな工合では、いよいよ故郷の評判が悪くなる。私のこんな情ない有様を、母や兄が見たなら、どんなに残念がることか、地団駄踏んで口惜しがることだろう、としきりに悲しく思っても、もはや私は、意志のブレーキを失っている。ただ、酒ばかり呑むのである。私の態度は、稚拙《ちせつ》であった。三十一にもなって、少しも可愛げが無くなっているのに、それでも、でれでれ甘えて、醜怪の極である。酔いが進むに連れて、ひとりで悲愴がって、この会合全体を否定してみたり、きざに異端を誇示しようと企んだり、或いは思い直して、いやいやここに列席している人たちは、みな一廉《ひとかど》の人物なのだ、優しく謙虚な芸術家なのだ、誠実に、苦労して生きて来た人たちばかりだ。卑劣なのは、僕だけだ。嗟《ああ》、僕は臆病者だ、女の腐ったみたいなものだ、そんなに、この会がいやならば、なぜ袴をはいて出席したりなどするのだ、お前のさもしい焦躁は、見え透いているぞ、と自分を叱ったり、とにかく、その時の私の心境は、全然なっていなかったのである。ただ、そわそわして落ちつかず、絶えず身体をゆらゆら左右に動かして、酒ばかり呑んでいるのである。酒はおびただしく、からだに廻って全身かっかと熱く、もはや頭から湯気が立ち昇るほどになっていた。
自己紹介がはじまっている。皆、有名な人ばかりである。日本画家、洋画家、彫刻家、戯曲家、舞踏家、評論家、流行歌手、作曲家、漫画家、すべて一流の人物らしい貫禄《かんろく》を以《もっ》て、自己の名前を、こだわりなく涼しげに述べ、軽い冗談なども言い添える。私はやけくそで、突拍子ない時に大拍手をしてみたり、ろくに聞いてもいない癖に、然《しか》りとか何とか、矢鱈《やたら》に合槌打ってみたり、きっと皆は、あの隅のほうにいる酔っぱらいは薄汚いやつだ、と内心不快、嫌悪の情を覚え、顰蹙《ひんしゅく》なされていたに違いない。私は、それを知っていたが、どうにも意志のブレーキが、きかないのである。自己紹介が、めぐりめぐって、だんだん順番が、末席のほうに近くなって来た。今に私の番になったら、私はこんな状態で、一体なんと言って挨拶したらいいのか。こんなに取乱してしまって、大演説なぞは、思いも寄らぬ事である。いよいよ酔漢の放言として、嘲笑されるくらいのところであろう。唐突に、雪溶けの小川が眼に浮ぶ。岸に、青々と芹《せり》が。あああ、私には言いたい事があるのだ。山々あったのである。けれども、急に、いやになった。なぜか、いやになった。いいのだ。私は永久に故郷に理解されないままで終っても、かまわないのだ。あきらめたのだ。衣錦還郷を、あきらめた。酔いがぐるぐる駈けめぐっている動乱の頭脳で、それでも、あれこれ考え悩み、きょうは、どうも、ごちそうさまでした、と新聞社の人にお礼を言って、それだけで引きさがろうと態度をきめた。その時の私の心で一ばん素直に、偽りなく言える言葉は、ただそのお礼だけであったのだ。けれども、とまた考えて、ごちそうさまでした、とだけ言って、それで引きさがるのは、なんだか、ふだん自分の銭《ぜに》でお酒を呑めない実相を露悪しているようで、賤《いや》しくないか、よせよせという内心の声も聞えて、私は途方に暮れていた。私の番が、来た。私は、くにゃくにゃと、どやしつけてやりたいほど不潔な、醜女の媚態を以て立ち上り、とっさのうちに考えた。Dの名前は出したくない。Dって、なんだいと馬耳東風、軽蔑されるに違いない。私の作品が可哀そうだ、読者にすまない。K町の辻馬の末弟です。と言えば、母や兄に赤恥かかせることになる、それにいま長兄は故郷の或る事件で、つらい大災厄に遭っているのを、私は知っている。私の家は、この五、六年、私の不孝ばかりでは無く、他の事でも、不仕合せの連続の様子なのである。おゆるし下さい。
「K町の、辻馬……」というには言った積りなのであるが、声が喉《のど》にひっからまり、殆ど誰にも聞きとれなかったに違いない。
「もう、いっぺん!」というだみ声が、上席のほうから発せられて、私は自分の行きどころの無い思いを一時にその上席のだみ声に向けて爆発させた。
「うるせえ、だまっとれ!」と、確かに小声で言った筈なのだが、坐ってから、あたりを見廻すと、ひどく座が白けている。もう、駄目なのである。私は、救い難き、ごろつきとして故郷に喧伝《けんでん》されるに違いない。
その後の私の汚行に就いては、もはや言わない。ぬけぬけ白状するということは、それは、かえって読者に甘えている所以《ゆえん》だし、私の罪を、少しでも軽くしようと計る卑劣な精神かも知れぬし、私は黙って怺《こら》えて、神のきびしい裁きを待たなければならぬ。私が、悪いのだ。持っている悪徳のすべてを、さらけ出した。帰途、吉祥寺駅から、どしゃ降りの中を人力車に乗って帰った。車夫は、よぼよぼの老爺である。老爺は、びしょ濡れになって、よたよた走り、ううむ、ううむと苦しげに呻《うめ》くのである。私は、ただ叱った。
「なんだ、苦しくもないのに大袈裟に呻いて、根性が浅間《あさま》しいぞ! もっと走れ!」私は悪魔の本性を暴露していた。
私は、その夜、やっとわかった。私は、出世する型では無いのである。諦めなければならぬ。衣錦還郷のあこがれを、此《こ》の際はっきり思い切らなければならぬ。人間到るところに青山、と気をゆったり持って落ちつかなければならぬ。私は一生、路傍の辻音楽師で終るのかも知れぬ。馬鹿な、頑迷のこの音楽を、聞きたい人だけは聞くがよい。芸術は、命令することが、できぬ。芸術は、権力を得ると同時に、死滅する。
あくる日、洋画を勉強している一友人が、三鷹の此の草舎に訪れて来て、私は、やがて前夜の大失態に就いて語り、私の覚悟のほども打ち明けた。この友人もまた、瀬戸内海の故郷の島から追放されているのである。
「故郷なんてものは、泣きぼくろみたいなものさ。気にかけていたら、きりが無い。手術したって痕《あと》が残る。」この友人の右の眼の下には、あずき粒くらいの大きな泣きぼくろが在るのだ。
私は、そんないい加減の言葉では、なぐさめられ切れず、鬱然として顔を仰向け、煙草ばかり吸っていた。
その時である。友人は、私の庭の八本の薔薇に眼をつけ、意外の事実を知らせてくれた。これは、なかなか優秀の薔薇だ、と言うのだ。
「ほんとうかね。」
「そうらしい。これは、もう六年くらいは経っています。ばら新《しん》あたりでは、一本一円以上は取るね。」友人は、薔薇に就いては苦労して来たひとである。大久保の自宅の、狭い庭に、四、五十本の薔薇を植えている。
「でも、これを売りに来た女は、贋物だったんだぜ。」と私は、瞞《だま》された顛末《てんまつ》を早速、物語って聞かせた。
「商人というものは、不必要な嘘まで吐《つ》くやつさ。どうでも、買ってもらいたかったんだろう。奥さん、鋏《はさみ》を貸して下さい。」友人は庭へ降りて、薔薇のむだな枝を、熱心にぱちんぱちんと剪《はさ》み取ってくれている。
「同郷人だったのかな? あの女は。」なぜだか、頬が熱くなった。「まんざら、嘘つきでも無いじゃないか。」
私は縁側に腰かけ、煙草を吸って、ひとかたならず満足であった。神は、在る。きっと在る。人間到るところ青山。見るべし、無抵抗主義の成果を。私は自分を、幸福な男だと思った。悲しみは、金を出しても買え、という言葉が在る。青空は牢屋の窓から見た時に最も美しい、とか。感謝である。この薔薇の生きて在る限り、私は心の王者だと、一瞬思った。
底本:「太宰治全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月刊行
1975(昭和50)年6月から1976(昭和51)年6月刊行
入力:柴田卓治
校正:小林繁雄
2000年1月16日公開
2005年10月25日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです
前へ
次へ
全4ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング