いだ。お家がいいから、好きだから、こうしてお願い申すのよ。薔薇をこれだけ、ちょっと植えさせて下さいましい、とやや声を低めて一生懸命である。私には、それが嘘であることがわかっていた。この辺の畑全部は、私の家の、おおやさんの持物なのである。私は、家を借りるとき、おおやさんから聞いて、ちゃんと知っていた。おおやさんの家族をも、私は正確に知っている。爺さんと、息子と、息子の嫁と、孫が一人である。こんな不潔な、人ずれした女なぞは、いない筈《はず》である。私がこの三鷹に引越して来て、まだ四日しか経っていないのだから何も知るまいと、多寡《たか》をくくって出鱈目《でたらめ》を言っているのに違いない。服装からしていい加減だ。よごれの無い印半纏《しるしばんてん》に、藤色の伊達巻《だてまき》をきちんと締め、手拭いを姉《あね》さん被りにして、紺《こん》の手甲《てっこう》に紺の脚絆《きゃはん》、真新しい草鞋《わらじ》、刺子《さしこ》の肌着、どうにも、余りに完璧《かんぺき》であった。芝居に出て来るような、頗《すこぶ》る概念的な百姓風俗である。贋物に違いない。極めて悪質の押売りである。その態度、音声に、おろかな媚《こび》さえ感ぜられ、実に胸くそが悪かった。けれども私にはその者を叱咤し、追いかえすことが出来なかったのである。
「それは、御苦労さまでした。薔薇を拝見しましょうね。」と自分でも、おや、と思ったほど叮嚀な言葉が出てしまって、見こまれたのが、不運なのだという無力な、だるい諦めも感ぜられ、いまは仕方なく立ち上り、無理な微笑さえ浮べて縁側に出たのである。私も、いやらしく弱くて、人を、とがめることが出来ないのである。薔薇は、菰《こも》に包まれて、すべて一尺二、三寸の背丈で、八本あった。花は、ついていなかった。
「これからでも、咲くでしょうか。」蕾《つぼみ》さえ無いのである。
「咲きますよ。咲きますよ。」私の言葉の終らぬさきから、ひったくるように返事して、涙に潤んでいるような細い眼を、精一ぱいに大きく見開いた。疑いもなく、詐欺師《さぎし》の眼である。嘘をついている人の眼を見ると、例外なく、このように、涙で薄く潤んでいるものである。「いいにおいが、ぷんぷんしますぞ、へえ。これが、クリイム。これが、うす赤。これが、白。」ひとりで何かと、しゃべっている。嘘つきは、習性として一刻も、無言で居られないものである。
「この辺は、みんな、あなたの畑なんでしょうか。」かえって私のほうが、腫物《はれもの》にでも触るような、冷や冷やした気持で聞いてみた。
「そうです。そうです。」すこし尖った口調で答えて、二度も三度も首肯した。
「家が建つのだそうですね。いつごろ建つの?」
「もう、間も無く建ちますよ。立派な、お屋敷が建つらしいですよ。ははは。」男みたいに不敵に笑った。
「あなたがたのお家じゃないんですね。それじゃ、畑をお売りになっちゃったというわけですね。」
「ええ、そういうわけです。売っちまったというわけですよ。」
「この辺は、坪いくらしましょう。相当いい値でしょうね。」
「なあに、坪、二三十円も、しますかね。へっへ。」低く笑って、けれどもその顔を見ると、汗が額に、にじみ出ている。懸命なのである。
私は、負けた。この上いじめるのは、よそうと思った。私だって、嘗《か》つては、このように、見え透いた嘘を、見破られているのを知っていながらも一生懸命に言い張ったことがあったのだ。その時も、やはり、あの不思議な涙で、瞼がひどく熱かったことを覚えている。
「植えていって下さい。おいくらですか?」早くこの者に帰ってもらいたかった。
「あれま、売りに来たわけじゃ無いですよ。薔薇が、可哀そうだから、お願いするのですもの。」満面に笑を湛《たた》えてそう言い、ひょいと私のほうに顔を近づけ、声を落して、「一本、五十銭ずつにして置いて下さいましい。」
「おい、」と私は、奥の三畳間で、縫いものをしている家内を呼んだ。「この人に、お金をやってくれ。薔薇を買ったんだ。」
贋百姓は落ちついて八本の薔薇を植え、白々しいお礼を述べて退去したのである。私は植えられた八本の薔薇を、縁側に立ってぼんやり眺めながら家内に教えた。
「おい、いまのは贋物だぜ。」私は自分の顔が真赤になるのを意識した。耳朶《みみたぶ》まで熱くなった。
「知っていました。」と家内は、平気であった。「私が出て、お断りしようと思っていたのに、あなたが、拝見しましょうなんて言って、出てゆくんだもの。あなただけ優しくて、私ひとりが鬼婆みたいに見られるの、いやだから、私、知らん振りしていたの。」
「お金が、惜しいんだ、四円とは、ひどいじゃないか。煮え湯を呑ませられたようなものだ。詐欺だ。僕は、へどが出そうな気持だ。」
「いいじゃないの。薔薇は、ちゃんと
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