んだろうね、そのいわれは」
 にやりと笑って、
「こんど教える。柊のいわれ」ともったい振る。
 私は押入れから、半分ほどはいっているウイスキイの角瓶を持ち出し、
「ウイスキイだけど、かまわないか」
「いいとも。かかがいないか。お酌をさせろよ」
 永い間、東京に住み、いろんな客を迎えたけれども、私に対してこんな事を言った客は、ひとりも無かった。
「女房は、いない」と私は嘘《うそ》を言った。
「そう言わずに」と彼は、私の言う事などてんで問題にせず、「ここへ呼んで来て、お酌をさせろよ。お前のかかのお酌で一ぱい飲んでみたくてやって来たのだ」
 都会の女、あか抜けて愛嬌《あいきょう》のいい女、そんなのを期待して来たのならば、彼にもお気の毒だし、女房もみじめだと思った。女房は、都会の女ではあるが、頗《すこぶ》る野暮ったい不器量の、そうして何のおあいそも無い女である。私は女房を出すのは気が重かった。
「いいじゃないか。女房のお酌だと、かえって酒がまずくなるよ。このウイスキイは」と言いながら机の上の茶呑茶碗《ちゃのみぢゃわん》にウイスキイを注ぎ、「昔なら三流品なんだけど、でも、メチルではないから」
 彼はぐっと一息に飲みほし、それからちょっちょっと舌打ちをして、
「まむし焼酎《しょうちゅう》に似ている」と言った。
 私はさらにまた注いでやりながら、
「でも、あんまりぐいぐいやると、あとで一時に酔いが出て来て、苦しくなるよ」
「へえ? おかど違いでしょう。俺は東京でサントリイを二本あけた事だってあるのだ。このウイスキイは、そうだな、六〇パーセントくらいかな? まあ、普通だ。たいして強くない」と言って、またぐいと飲みほす。なんの風情《ふぜい》も無い。
 そうしてこんどは、彼が私に注いでくれて、それからまた彼自身の茶碗にもなみなみと一ぱい注いで、
「もう無い」と言った。
「ああ、そう」と私は上品なる社交家の如く、心得顔に気軽そうに立ち、またもや押入れからウイスキイを一本取り出し、栓をあける。
 彼は平然と首肯して、また飲む。
 さすがに私も、少しいまいましくなって来た。私には幼少の頃から浪費の悪癖があり、ものを惜しむという感覚は、(決して自慢にならぬ事だが)普通の人に較べてやや鈍いように思っている。けれども、そのウイスキイは、謂《い》わば私の秘蔵のものであったのである。昔なら三流品でも、
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