原因は、親友の滅茶な酔い方に在るのだ。
「面白くない。ひとつ歌でもやらかそうか」
と彼が言ったので私は二重に、ほっとした。
一つには、歌に依ってこの当面の気まずさが解消されるだろうという事と、もう一つは、それは私の最後のせめてもの願いであったのだが、とにかく私はお昼から、そろそろ日が暮れて来るまで五、六時間も、この「全く附き合いの無かった」親友の相手をして、いろいろと彼の話を聞き、そのあいだ、ほんの一瞬たりともこの親友を愛すべき奴だとも、また偉い男だとも思う事が出来ず、このままわかれては、私は永遠にこの男を恐怖と嫌悪の情だけで追憶するようになるだろうと思うと、彼のためにも私のためにもこんなつまらない事はない、一つだけでいい、何か楽しくなつかしい思い出になる言動を示してくれ、どうか、わかれ際に、かなしい声で津軽の民謡か何か歌って私を涙ぐませてくれという願望が、彼の歌をやらかそうという動議に依ってむらむらと胸中に湧《わ》き起って来たのである。
「それあ、いい。ぜひ一つ、たのむ」
それは、もはや、軽薄なる社交辞令ではなかった。私は、しんからそれ一つに期待をかけた。
しかし、その最後のものまで、むざんに裏切られた。
山川《さんせん》草木うたたあ荒涼
十里血なまあぐさあし新戦場
しかも、後半は忘れたという。
「さ、帰るぞ、俺は。お前のかかには逃げられたし、お前のお酌では酒がまずいし、そろそろ帰るぞ」
私は引きとめなかった。
彼は立ち上って、まじめくさり、
「クラス会は、それじゃ、仕方が無い、俺が奔走してやるからな、後はよろしくたのむよ。きっと、面白いクラス会になると思うんだ。きょうは、ごちそうになったな。ウイスキイは、もらって行く」
それは、覚悟していた。私は、四分の一くらいはいっている角瓶に、彼がまだ茶呑茶碗に飲み残して在るウイスキイを、注ぎ足してやっていると、
「おい、おい。それじゃないよ。ケチな真似をするな。新しいのがもう一本押入れの中にあるだろう」
「知っていやがる」私は戦慄《せんりつ》し、それから、いっそ痛快になって笑った。あっぱれ、というより他は無い。東京にもどこにも、これほどの男はいなかった。
もうこれで、井伏さんが来ても誰が来ても、共にたのしむ事が出来なくなった。私は押入れから最後の一本を取り出して、彼に手渡し、よっぽどこのウイス
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