うものは、いったん思い込んだ男を忘れかねると見えるな。うわっはっは。いまでも手紙を寄こすのだよ。うふふ。こないだも、餅を送ってよこした。女は、馬鹿なものだよ、まったく。女に惚《ほ》れられようとしたら、顔でも駄目だ、金でも駄目だ、気持だよ、心だよ。じっさい俺も東京時代は、あばれたものだ。考えてみると、あの頃は無論お前も東京にいて、芸者を泣かせたりなんかして遊んでいた筈だが、いちども俺と逢わなかったのは不思議だな。お前は、いったいあの頃は、おもにどの方面で遊んでいたのだ」
 あの頃とは、私には、どの頃かわからない。それに私は東京に於いて、彼の推量の如くそんな、芸者を泣かせたりして遊んだ覚えは一度だって無い。おもに屋台のヤキトリ屋で、泡盛や焼酎を飲み、管《くだ》を巻いていたのである。私は東京に於いて、彼の所謂「女で大しくじり」をして、それも一度や二度でない、たび重なる大しくじりばかりして、親兄弟の肩身をせまくさせたけれども、しかし、せめて、これだけは言えると思う、「ただ金のあるにまかせて、色男ぶって、芸者を泣かせて、やにさがっていたのではない!」みじめなプロテストではあるが、これをさえ私は未だに信じてもらえない立場にいるらしいのを、彼の言葉に依って知らされ、うんざりした。
 しかし、その不愉快は、あながちこの男に依って、はじめて嘗めさせられたものではなく、東京の文壇の批評家というもの、その他いろいろさまざま、または、友人という形になっている人物に依ってさえも嘗めさせられている苦汁であるから、それはもう笑って聞き流す事も出来るようになっていたのであるが、もう一つ、この百姓姿の男が、何かそれを私の大いなる弱味の如く考えているらしく、それに附け込むという気配が感ぜられて、そのような彼の心情がどうにも、あさましく、つまらないものに思われた。
 しかし、その日は、私は極めて軽薄なる社交家であった。毅然《きぜん》たるところが一つも無かった。なんといったって、私は、ほとんど無一物の戦災者であって、妻子を引き連れ、さほど豊かでもないこの町に無理矢理割り込ませてもらって、以てあやうく露命をつなぐを得ているという身の上に違いないのであるから、この町の昔からの住民に対しては、いきおい、軽薄なる社交家たらざるを得なかった。
 私は母屋へ行って水菓子をもらって来て彼にすすめ、
「たべないか。くだも
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