親という二字
太宰治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)親《おや》という
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 親《おや》という二字と無筆の親は言い。この川柳《せんりゅう》は、あわれである。
「どこへ行って、何をするにしても、親という二字だけは忘れないでくれよ。」
「チャンや。親という字は一字だよ。」
「うんまあ、仮りに一字が三字であってもさ。」
 この教訓は、駄目である。
 しかし私は、いま、ここで柳多留《やなぎだる》の解説を試みようとしているのではない。実は、こないだ或《あ》る無筆の親に逢《あ》い、こんな川柳などを、ふっと思い出したというだけの事なのである。
 罹災《りさい》したおかたには皆おぼえがある筈《はず》だが、罹災をすると、へんに郵便局へ行く用事が多くなるものである。私が二度も罹災して、とうとう津軽の兄の家へ逃げ込んで居候《いそうろう》という身分になったのであるが、簡易保険だの債券売却だのの用事でちょいちょい郵便局に出向き、また、ほどなく私は、仙台の新聞に「パンドラの匣《はこ》」という題の失恋小説を連載する事になって、その原稿発送やら、電報の打合せやらで、いっそう郵便局へ
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