に。ダダイズムとは結局、何を意味するか。お願いします。草田舎の国民学校訓導より。――
私は返事を出した。
――拝復。貴翰《きかん》拝読いたしました。ひとにものを尋ねる時には、も少していねいな文章を書く事に致しましょう。小国民の教育をなさっている人が、これでは、いけないと思いました。
御質問に、まじめにお答え致します。私はいままで、ダダイズムを自称した事は一度もありませんでした。私は自分を、下手な作家だと思っています。なんとかして自分の胸の思いをわかってもらいたくて、さまざまのスタイルを試みているのですが、成功しているとも思えません。不器用な努力です。私は、ふざけていません。不一。――
その国民学校の先生が、私の家へ呶鳴り込んで来てもいいと覚悟して書いたのであるが、四五日経ってから、次のような、やや長い手紙が来た。
――十一月二十八日。昨夜の疲労で今朝は七時の時報を聞いても仲々起きられなかった。範画教材として描いた笹の墨絵を見ながら、入営(×月×日)のこと、文学のこと、花籠のこと等、漠然と考えはじめた。××県地図と笹の絵が、白い宿直室の壁に、何かさむざむとへばりついているのが、自分を暗示しているような気がしてならない。こんな気分の時には、きまって何か失敗が起るのだ。師範の寄宿舎で焚火《たきび》をして叱られた時の事が、ふいと思い出されて、顔をしかめてスリッパをはいて、背戸の井戸端に出た。だるい。頭が重い。私は首筋を平手で叩いてみた。屋外は、凄《すご》いどしゃ降りだ。菅笠《すげがさ》をかぶって洗面器をとりに風呂場へ行った。
「先生お早うす。」
学校に近い部落の児が二人、井戸端で足を洗っていた。
二時間目の授業を終えて、職員室で湯を呑んで、ふと窓の外を見たら、ひどいあらし[#「あらし」に傍点]の中を黒合羽着た郵便配達が自転車でよろよろ難儀しながらやって来るのが見えた。私は、すぐに受け取りに出た。私の受け取ったものは、思いがけない人からの返書でした。先生、その時、私は、随分月並な言葉だけれど、(中略)
本当に、ありがとうございました。私は常に後悔しています。理由なき不遜《ふそん》の態度。私はいつでもこれあるが為《ため》に、第一印象が悪いのです。いけないことだ。知りつつも、ついうっかりして再び繰返します。
校長にも、お葉書を見せました。校長は言いました。「ほん
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