うに失礼しました。いつもは、あんなじゃないのですから、こわがらないで、どんどん宿へ遊びに来て下さいって。」
「でも、言っていましたよ。仕事の邪魔になるから、宿へ来るなって言われたので、そのうちお仕事がすんでから、みんなで御岳《みたけ》へ遊びに行くんだ、とそう言っていましたよ。」
「そうか。そんな、ばかなこと私が言ったのかねえ。仕事のほうは、どうにでも都合がつくのだから、御岳へでも、どこへでも、きっと一緒に行きます、とそう言って下さい。私は、いつでもいいんです。早いほどいいなあ。二、三日中に行きたいなあ。どうでも、そこは、あなたたちの都合のいいように、とそう言って下さい。私は、ほんとうに、いつでもいいのですからね。」むきになっていた。
「承知しました。僕も一緒に行くんです。これからも、よろしく。」へんな、どぎまぎした挨拶だったので、私は、郵便屋さんの顔を見直した。まっかになっている。
私は、ちょっと考えて、すぐわかった。この郵便屋さんと、あの少女とでは、きっと、つつましく、うまく行くだろうと思った。少し侘《わ》びしく、戸惑いした私の感情も、すぐにその場で、きれいに整理できた。それは、それで、いいのだと思った。
百合の花は、何かあり合せの花瓶に活けて部屋に持って来るよう女中に言いつけて、私は、私の部屋へかえって机のまえに坐ってみた。いい仕事をしなければいけないと思った。いい弟と、いい妹の陰ながらの声援が、脊中に涼しく感ぜられ、あいつらの為《ため》にだけでも、も少しどうにか、偉くなりたいものだと思った。ふと傍に眼を転ずると、私のゆうべ着て出た着物が、きちんと畳まれて枕もとに置かれて在る。私の新しい小さい妹が、ゆうべ私に脱がせて畳んでいって呉れたものに違いない。
それから二日目に、火事である。私は、まだ仕事で、起きていた。夜中の二時すぎに、けたたましく半鐘が鳴って、あまりにその打ちかたが烈しいので、私は立って硝子《ガラス》障子をあけて見た。炎々と燃えている。宿からは、よほど離れている。けれども、今夜は全くの無風なので、焔《ほのお》は思うさま伸び伸びと天に舞いあがり立ちのぼり、めらめら燃える焔のけはいが、ここまではっきり聞えるようで、ふるえるほどに壮観であった。ふと見ると、月夜で、富士がほのかに見えて、気のせいか、富士も焔に照らされて薄紅色になっている。四辺の山々の姿も
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