ている。
 表二階の十畳間にとおされた。いい座敷だ。欄間も、壁も、襖《ふすま》も、古く、どっしりして、安普請《やすぶしん》では無い。
「ここは、ちっとも、かわらんな。」幸吉は、私と卓を挾《はさ》んで坐ってから、天井を見上げたり、ふりかえって欄間を眺めたり、そわそわしながら、そんなことを呟いて、「おや、床の間が少し、ちがったかな?」
 それから私の顔を、まっすぐに見て、にこにこ笑い、
「ここは、ね、僕の家だったのです。いつか、いちどは来てみたいと思っていたのですが。」
 そう聞いて、私も急に興奮した。
「あ、そうか。どうりで家のつくりが、料理屋らしくないと思った。あ、そうか。」私も、あらためて部屋を見まわした。
「この部屋には、ね、店の品物が、たくさん積みこまれて、僕たちは、その反物《たんもの》で山をこさえたり、谷をこさえたりして、それに登って遊んだものです。ここは、こんなに日当りがいいでしょう? だもんだから、母は、ちょうどあなたのお坐りになっていらっしゃるその辺に坐って、よく仕立物をしていました。十年もむかしのことですが、この部屋へ来てみると、やっぱし昔のことが、いちいちはっきり思い出されます。」静かに立って、おもて通りに面した、明るい障子を細くあけてみて、
「ああ、むかい側もおんなじだ。久留島さんだ。そのおとなりが、糸屋さん。そのまた隣が、秤《はか》り屋さん。ちっとも変っていないんだなあ。や、富士が見える。」私のほうを振りかえって、
「まっすぐに見える。ごらんなさい。昔とおんなじだ。」
 私は、先刻から、たまらなかった。
「ね、かえろうよ。いけないよ。ここでは酒も呑めないよ。もうわかったから、かえりましょう。」不気嫌にさえなっていた。「わるい計画だったね。」
「いいえ、感傷なんか無いんです。」障子を閉めて、卓の傍へ来て横坐りに坐って、「もう、どうせ、他人の家です。でも、久しぶりに来て見ると、何でもかんでも珍らしく、僕は、うれしいのです。」嘘でなく、しんから楽しそうに微笑しているのである。
 ちっとも、こだわっていないその態度に、私は唸《うな》るほど感心した。
「お酒、呑みますか? 僕は、ビイルだと少しは、呑めるのですけれど。」
「日本酒は、だめか?」私も、ここで呑むことに腹をきめた。
「好きじゃないんです。父は酒乱。」そう言って、可愛く笑った。
「私は酒乱じゃな
前へ 次へ
全16ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング