《とりえ》で笑顔にちょっと愛嬌《あいきょう》のあるところがよかったのか、或《あ》る日の雨宿りが縁になって、人は見かけに依《よ》らぬもの、縁は異なもの、馬鹿《ばか》らしいもの、お蘭に慕われるという飛んでもない大果報を得たというのがこの物語の発端である。両方の親は知らず、次郎右衛門ひそかに、出入のさかなやの伝六に頼み、徳右衛門方に縁組の内相談を持ちかけさせた。伝六はかねがねこの質屋に一かたならず面倒をかけている事とて、次郎右衛門の言いにくそうな頼みを聞いて、向うは酒屋、うまく橋渡しが出来たら思うぞんぶん飲めるであろう、かつはこちらの質の利息払いの期限をのばしてもらうのはこの時と勇み立ち、あつかましくも質流れの紋服で身を飾り、知らぬ人が見たらどなたさまかと思うほどの分別ありげの様子をして徳右衛門方に乗り込み、えへへと笑い扇子を鳴らして庭の石を褒《ほ》め、相手は薄気味悪く、何か御用でも、と言い、伝六あわてず、いや何、と言い、やがてそれとなく次郎右衛門の希望を匂《にお》わせ、こちらさまは酒屋、向うさまは質屋、まんざら縁の無い御商売ではございませぬ、酒屋へ走る前には必ず質屋へ立寄り、質屋を出てからは必ず酒屋へ立寄るもので、謂《い》わば坊主《ぼうず》とお医者の如《ごと》くこの二つが親戚《しんせき》だったら、鬼に金棒で、町内の者が皆殺されてしまいます、などとけしからぬ事まで口走り、一世一代の無い智慧《ちえ》を絞って懸命に取りなせば、徳右衛門も少し心が動き、
「桑盛様の御総領ならば、私のほうでも不足はございませんが、時に、桑盛さまの御宗旨《ごしゅうし》は?」
「ええと、それは、」意外の質問なので、伝六はぐっとつまり、「はっきりは、わかりませぬが、たしか浄土宗で。」
「それならば、お断り申します。」と口を曲げて憎々しげに言い渡した。「私の家では代々の法華宗《ほっけしゅう》で、殊《こと》にも私の代になりましてから、深く日蓮《にちれん》様に帰依《きえ》仕《つかまつ》って、朝夕|南無妙法蓮華経《なむみょうほうれんげきょう》のお題目を怠らず、娘にもそのように仕込んでありますので、いまさら他宗へ嫁にやるわけには行きません。あなたも縁談の橋渡しをしようというほどの男なら、それくらいの事を調べてからおいでになったらどうです。」
「いや、あの、私は、」と冷汗を流し、「私は代々の法華宗の日蓮様で、朝夕、南無妙法蓮華経と。」
「何を言っているのです。あなたに嫁をやるわけじゃあるまいし、桑盛様が浄土宗ならば、いかほど金銀を積んでも、またその御総領が御発明で男振りがよくっても、私は、いやと申します。日蓮様に相すみません。あんな陰気くさい浄土宗など、どこがいいのです。よくもこの代々の法華宗の家へ、娘がほしいなんて申込めたものだ。あなたの顔を見てさえ胸くそが悪い。お帰り下さい。」
さんざんの不首尾で伝六は退散し、しょげ切ってこの由《よし》を次郎右衛門に告げた。次郎右衛門は気軽に、なんだ、そんな事は何でもない、こちらの宗旨を変えたらいい、家は代々不信心だから浄土宗だって法華宗だってかまわないんだ、と言って、にわかに総《ふさ》の長い珠数《じゅず》に持ちかえ、父母にもすすめて、朝夕お題目をあげて、父母は何の事かわからぬが子供に甘い親なので、とにかく次郎右衛門の言いつけどおりに、わきを見てあくびをしながら南無妙法蓮華経と称《とな》え、ふたたび伝六は、徳右衛門方におもむき、いまは桑盛様も一家中、日蓮様を信心してお題目をあげていますと得意満面で申し述べたが、徳右衛門はむずかしい男で、いやいや根抜きの法華でなければ信心が薄い、お蘭ほしさの改宗は見えすいて浅間《あさま》し、日蓮さまだっていい顔をなさるまい、ちょっと考えてもわかりそうな事だ、娘は或る知合いの法華の家へ嫁にやるようにきまっています、というむごい返事、次郎右衛門は聞いて仰天して、取敢《とりあ》えずお蘭に、伝六なんの役にも立たざる事、ならびに、お前がよその法華へ嫁《とつ》ぐそうだが、畜生め、私はお前のために好きでもないお題目を称えて太鼓をたたき手に豆をこしらえたのだぞ、思えば私の次郎右衛門という名は、あずまの佐野の次郎左衛門に似ていて、かねてから気になっていたのだが、やはり東西左右の振られ男であった、私もこうなれば、刀を振りまわして百人|斬《ぎ》りをするかも知れぬ、男の一念、馬鹿にするな、と涙を流して書き送れば、すぐに折り返しお蘭の便り、あなたのお手紙何が何やら合点《がてん》が行かず、とにかく刀を振りまわすなど危い事はよして下さい、百人斬りはおろか一人も斬らぬうちにあなたが斬られてしまいます、あなたの身にもしもの事があったなら、私はどうしたらいいのでしょう、あまりおどかさないで下さい、よその縁談の事など、本当に私には初耳です、あなたはいつもお鼻や目尻の事を気にして自信が無く、何のかのと言って私を疑うので困ってしまいます、私が今更どこへ行くものですか、安心していらっしゃい、もしもお父さんが私をよそへやるようだったら私はこの家から逃げてもあなたのところへ行くつもり、女の一念、覚えていらっしゃい、という事なので次郎右衛門すこし笑い、しかし、まだまだ安心はならぬと無理に顔をしかめて、とにかくお題目と今は本気に日蓮様におすがりしたくなって、南無妙法蓮華経と大声でわめいて滅多矢鱈《めったやたら》に太鼓をたたく。
お蘭はその翌《あく》る日、徳右衛門の居間に呼ばれて、本町|紙屋彦作《かみやひこさく》様と縁談ととのった、これも日蓮様のおみちびき、有難《ありがた》くとこしなえの祝言《しゅうげん》を結べ、とおごそかに言い渡せば、お蘭はぎょっとしたが色に出さず、つつしんで一礼して部屋から出て、それから飛ぶようにして二階に駈《か》け上り、一筆しめしまいらせ候《そうろう》、来たわよ、いよいよ決行の日が来たわよ、私は逃げるつもりです、今宵《こよい》のうちに迎えたのむ、拝む、としどろもどろに書き散らし、丁稚《でっち》に言いつけて隣町へ走らせ、次郎右衛門はその手紙をざっと一読してがたがた震え、台所へ行って水を飲み、ここが思案のしどころと座敷のまん中に大あぐらをかいてみたが、別に何の思案も浮ばず、立ち上って着物を着換え、帳場へ行ってあちこちの引出しを掻きまわし、番頭に見とがめられて、いやちょっと、と言い、何がしの金子《きんす》をそそくさと袂《たもと》にほうり込んで、もう眼に物が見えぬ気持で、片ちんばの下駄《げた》をはいて出て途中で気がついて、家へ引返すのもおそろしく、はきもの屋に立ち寄って、もうこれだけしかお金が無いのだと思うと、けちになって一ばん安い草履を買い、その薄っぺらな草履をはいて歩くとぺたぺたと裸足《はだし》で地べたを歩いているような感じで心細く、歩きながら男泣きに泣いて、ようやく隣町の徳右衛門の家の裏口にたどりつくと、矢のようにお蘭は走り出て、ものも言わず次郎右衛門の手を取りさっさと自分からさきに歩き出し、次郎右衛門はあんまの如く手をひかれて、ぺたぺたと歩いて、またも大泣きに泣くのである。ここまでは、分別浅い愚かな男女の、取るにも足らぬふざけた話であるが、もちろん物語はここで終らぬ。世の中の厳粛な労苦は、このさきにあるようだ。
二人は、その夜のうちに七里歩み、左方に博多《はかた》の海が青く展開するのを夢のように眺《なが》めて、なおも飲まず食わず、背後に人の足音を聞くたびに追手かと胆《きも》をひやし、生きた心地《ここち》も無くただ歩きに歩いて蹌踉《そうろう》とたどりついたところは其《そ》の名も盛者必衰《じょうしゃひっすい》、是生滅法《ぜしょうめっぽう》の鐘が崎、この鐘が崎の山添の野をわけて次郎右衛門のほのかな知合いの家をたずね、案の如く薄情のあしらいを受けて、けれどもそれも無理のない事と我慢して、ぶしつけながら、とお金を紙に包んで差し出し、その日は、納屋《なや》に休ませてもらい、浅間しき身のなりゆきと今はじめて思い当って青く窶《やつ》れた顔を見合せて溜息《ためいき》をつき、お蘭は、手飼いの猿《さる》の吉兵衛の背を撫《な》でながら、やたらに鼻をすすり上げた。この吉兵衛という名の猿は、小猿の頃からお蘭に可愛《かわい》がられて育ち、娘が男と一緒にひたすら夜道を急ぐ後を慕ってついて来て、一里あまり過ぎた頃、お蘭が見つけて叱《しか》って追っても、石を投げて追ってもひょこひょこついて来て、次郎右衛門は不憫《ふびん》に思い、せっかく慕って来たのだから仲間にいれておやり、と言い、お蘭は、おいで、と手招きすれば、うれしそうに駈け寄って来て、お蘭に抱かれて眼をぱちぱちさせて二人の顔を気の毒そうに眺める。いまはもう二人の忠義な下僕《げぼく》になりすまして、納屋へ食事を持ちはこぶやら、蠅《はえ》を追うやら、櫛《くし》でお蘭のおくれ毛を掻《か》き上げてやるやら、何かと要らないお手伝いをして、二人の淋《さび》しさを慰めてやろうと畜生ながら努めている。いかに世を忍ぶ身とは言え、いつまでも狭い納屋に隠れて暮しているわけにも行かず、次郎右衛門はさらに所持のお金の大半を出してその薄情の知合いの者にたのみ、すぐ近くの空地に見すぼらしい庵《いおり》を作ってもらい、夫婦と猿の下僕はそこに住み、わずかな土地を耕して、食膳《しょくぜん》に供するに足るくらいの野菜を作り、ひまひまに亭主《ていしゅ》は煙草《たばこ》を刻み、お蘭は木綿の枷《かせ》というものを繰って細々と渡世し、好きもきらいも若い一時の阿呆《あほ》らしい夢、親にそむいて家を飛び出し連添ってみても、何の事はない、いまはただありふれた貧乏|世帯《じょたい》の、とと、かか、顔を見合せて、おかしくもなく、台所がかたりと鳴れば、鼠《ねずみ》か、小豆《あずき》に糞《ふん》されてはたまらぬ、と二人血相かえて立ち上り、秋の紅葉も春の菫《すみれ》も、何の面白《おもしろ》い事もなく、猿の吉兵衛は主人の恩に報いるはこの時と、近くの山に出かけては柏《かしわ》の枯枝や松の落葉を掻き集め、家に持ち帰って竈《かまど》の下にしゃがみ、松葉の煙に顔をそむけながら渋団扇《しぶうちわ》を矢鱈にばたばた鳴らし、やがてぬるいお茶を一服、夫婦にすすめて可笑《おか》しき中にも、しおらしく、ものこそ言わね貧乏世帯に気を遣い、夕食も遠慮して少量たべると満足の態《てい》でころりと寝て、次郎右衛門の食事がすむと駈け寄って次郎右衛門の肩をもむやら足腰をさするやら、それがすむと台所へ行きお蘭の後片附のお手伝いをして皿《さら》をこわしたりして実に面目なさそうな顔つきをして、夫婦は、せめてこの吉兵衛を唯一《ゆいいつ》のなぐさみにして身の上の憂《う》きを忘れ、そのとしも過ぎて翌年の秋、一子菊之助をもうけ、久し振りに草の庵から夫婦の楽しそうな笑声が漏れ聞え、夫婦は急に生きる事にも張合いが出て来て、それめめをさました、あくびをしたと騷ぎ立てると、吉兵衛もはねまわって喜び、山から木の実を取って来て、赤ん坊の手に握らせて、お蘭に叱られ、それでも吉兵衛には子供が珍らしくてたまらぬ様子で、傍《そば》を離れず寝顔を覗《のぞ》き込み、泣き出すと驚いてお蘭の許《もと》に飛んで行き裾《すそ》を引いて連れて来て、乳を呑《の》ませよ、と身振《みぶり》で教え、赤子の乳を呑むさまを、きちんと膝《ひざ》を折って坐って神妙に眺め、よい子守が出来たと夫婦は笑い、それにつけても、この菊之助も不憫なもの、もう一年さきに古里《ふるさと》の桑盛の家で生れたら、絹の蒲団《ふとん》に寝かせて、乳母を二人も三人もつけて、お祝いの産衣《うぶぎ》が四方から山ほど集り、蚤《のみ》一匹も寄せつけず玉の肌《はだ》のままで立派に育て上げる事も出来たのに、一年おくれたばかりに、雨風も防ぎかねる草の庵に寝かされて、木の実のおもちゃなど持たされ、猿が子守とは、と自分たちの無分別な恋より起ったという事も忘れて、ひたすら子供をいとおしく思い、よし、よし、いまはこのようにみじめだが、この子の物心地のつく迄《まで》は、何とか一財産つくって古里の親たちを見
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