らぬ事をしていては腕の力が抜けると言い、庭に飛び降り庭石を相手によいしょ、よいしょとすさまじい角力の稽古。父母は嫁の里の者たちに面目なく背中にびっしょり冷汗をかいて、
「まだ子供です。ごらんのとおりの子供です。お見のがしを。」と言うのだが、見たところ、どうしてなかなか子供ではない。四十くらいの親爺に見える。嫁の里の者たちは、あっけにとられて、
「でも、あんな髭をはやして分別顔でりきんでいるさまは、石川五右衛門の釜《かま》うでを思い出させます。」と率直な感想を述べ、とんでもない男に娘をやったと顔を見合せて溜息をついた。
 才兵衛はその夜お嫁を隣室に追いやり、間の襖に念入りに固くしんばり棒をして、花嫁がしくしく泣き出すと大声で、
「うるさい!」と呶鳴《どな》り、「お師匠の鰐口様がいつかおっしゃった。夫婦が仲良くすると、あたら男盛りも、腕の力が抜ける、とおっしゃった。お前も角力取の女房《にょうぼう》ではないか。それくらいの事を知らないでどうする。わしは女ぎらいだ。摩利支天に願掛けて、わしは一生、女に近寄らないつもりなのだ。馬鹿者め。めそめそしてないで、早くそっちへ蒲団《ふとん》敷いて寝ろ!」
 花嫁は恐怖のあまり失神して、家中が上を下への大騒ぎになり、嫁の里の者たちはその夜のうちに、鬼が来た鬼が来たと半狂乱で泣き叫ぶ娘を駕籠《かご》に乗せて、里へ連れ戻《もど》った。
 このような不首尾のために才兵衛の悪評はいよいよ高く、いまは出家|遁世《とんせい》して心静かに山奥の庵《いおり》で念仏|三昧《ざんまい》の月日を送っている師匠の鰐口の耳にもはいり、師匠にとって弟子の悪評ほどつらいものはなく、あけくれ気に病み、ついには念仏の障りにもなって、或る夜、決意して身を百姓姿にかえて山を下り、里の夜宮に行って相変らずさかんな夜宮角力を、頬被《ほおかぶ》りして眺めて、そのうちにれいの荒磯が、のっしのっしと土俵にあがり、今夜もわしの相手は無しか、尻《しり》ごみしないでかかって来い、と嗄《しゃが》れた声で言ってぎょろりとあたりを見廻せば、お宮の松籟《しょうらい》も、しんと静まり、人々は無言で帰り仕度をはじめ、その時、鰐口|和尚《おしょう》は着物を脱ぎ、頬被りをしたままで、おう、と叫んで土俵に上った。荒磯は片手で和尚の肩を鷲《わし》づかみにして、この命知らずめが、とせせら笑い、和尚は肩の骨がいまにも砕けはせぬかと気が気でなく、
「よせ、よせ。」と言っても、荒磯は、いよいよ笑って和尚の肩をゆすぶるので、どうにも痛くてたまらなくなり、
「おい、おい。おれだ、おれだよ。」と囁《ささや》いて頬被りを取ったら、
「あ、お師匠。おなつかしゅう。」などと言ってる間に和尚は、上手投げという派手な手を使って、ものの見事に荒磯の巨体を宙に一廻転させて、ずでんどうと土俵のまん中に仰向けに倒した。その時の荒磯の形のみっともなかった事、大鯰《おおなまず》が瓢箪《ひょうたん》からすべり落ち、猪《いのしし》が梯子《はしご》からころげ落ちたみたいの言語に絶したぶざまな恰好《かっこう》であったと後々の里の人たちの笑い草にもなった程で、和尚はすばやく人ごみにまぎれて素知らぬ振りで山の庵に帰り、さっぱりした気持で念仏を称《とな》え、荒磯はあばら骨を三本折って、戸板に乗せられて死んだようになって家へ帰り、師匠、あんまりだ、うらみます、とうわごとを言い、その後さまざま養生してもはかどらず、看護の者を足で蹴飛《けと》ばしたりするので、次第にお見舞いをする者もなくなり、ついには、もったいなくも生みの父母に大小便の世話をさせて、さしもの大兵《だいひよう》肥満も骨と皮ばかりになって消えるように息を引きとり、本朝二十不孝の番附《ばんづけ》の大横綱になったという。
[#地から2字上げ](本朝二十不孝、巻五の三、無用の力自慢)
[#改ページ]

   猿塚《さるづか》

 むかし筑前《ちくぜん》の国、太宰府《だざいふ》の町に、白坂|徳右衛門《とくえもん》とて代々酒屋を営み太宰府一の長者、その息女お蘭《らん》の美形ならびなく、七つ八つの頃《ころ》から見る人すべて瞠若《どうじゃく》し、おのれの鼻垂れの娘の顔を思い出してやけ酒を飲み、町内は明るく浮き浮きして、ことし十に六つ七つ余り、骨細く振袖《ふりそで》も重げに、春光ほのかに身辺をつつみ、生みの母親もわが娘に話かけて、ふと口を噤《つぐ》んで見とれ、名花の誉《ほまれ》は国中にかぐわしく、見ぬ人も見ぬ恋に沈むという有様であった。ここに桑盛次郎右衛門《くわもりじろうえもん》とて、隣町の裕福な質屋の若旦那《わかだんな》、醜男《ぶおとこ》ではないけれども、鼻が大きく目尻《めじり》の垂れ下った何のへんてつも無い律儀《りちぎ》そうな鬚男《ひげおとこ》、歯の綺麗《きれい》なのが取柄
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