な顔で帰って来るので、私も次第に大胆になり、その後も十両、二十両と盗み、やがて無常を観じて出家する時には、残っている金をそっくり行きがけの駄賃《だちん》として拝借して旅立ったようなわけで、あのばばさまの生きていらっしゃる限り、私はおそろしくて家へ帰る事が出来ないのです。ばばさまは、まだきっとあの茶壺のからっぽな事にはお気附《きづ》きなさらず、相変らず日に四度ずつ見廻りに行っている事でありましょうが、お気附きなさらぬままで頓死《とんし》でもなさったならば、ばばさまも仕合せ、また私の罪も永遠にうやむやになって、大手を振って家へ帰れるというわけになるのです。けれども、ばばさまのあのお元気では、きっと百まで生きるでしょうし、頓死など待っているうちに、孫の私のほうが山中の寒さに凍《こご》え死にするような事になるかも知れません。思えば思うほど、心細くなります。昔の遊び友達、あるいは朝湯で知合った人、または質屋の手代《てだい》、出入りの大工、駕籠《かご》かきの九郎助にまで、とにかく名前を思い出し次第、知っている人全部に、吉野山の桜花の見事さを書き送り、おしなべて花の盛りになりにけり山の端毎《はごと》にかかる白雲、などと古人の歌を誰《だれ》の歌とも言わず、ちょっと私の歌みたいに無雑作らしく書き流し、遊びに来て下さい、と必ず書き添えて、またも古人の歌「吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ」と思わせぶりに書き結び、日に二通も三通も里人に頼んで都に送り、わがまことの心境は「吉野山やがて出でんと思ふ身を花散る頃はお迎へたのむ」というような馬鹿げたものにて、みずから省みて苦笑の他なく、けれども、かかるせつなき真赤な嘘もまた出家の我慢|忍辱《にんにく》と心得、吉野山のどかに住み易《やす》げに四方八方へ書き送り、さて、待てども待てども人ひとり訪ねて来るどころか、返事さえ無く、あの駕籠かきの九郎助など、かねがね私があれほどたくさん酒手をやり、どこへ行くにも私のお供で、若旦那《わかだんな》が死ねばおらも死にますなどと言っていたくせに、私があれほどていねいな手紙を書き送ってやったのに一片の返事も寄こさぬとは、ひどいじゃありませんか。九郎助に限らず、以前あんなに私を気前がいいの、正直だの、たのもしいだのと褒《ほ》めていた遊び仲間たちも、どうした事でしょう、私が出家したら、ぱったり何もお便りを下さらず、もう私が何もあの人たちのお役に立たない身の上になったから、それでくるりと背を向けたというわけなのでしょうか、それにしても、あまり露骨でむごいじゃありませんか。こんなに皆から爪《つま》はじきされるとは心外です。私はいったいどんな悪い事をしたのでしょう。ばばさまのへそくりを拝借したとしても、それは一家の内の事で、また、地中に埋もれた財宝を、掘り出して世に活用せしめたのは考え様に依《よ》っては立派な行為とも言えると思うのです。しかも、諸行無常を観じ出家遁世するのは、上品な事で、昔の偉い人はたいていこれをやっているのです。それくらいの事は、皆さまにもわかりそうなものです。それなのに、私を軽蔑して仲間はずれにしようとなさる。それは、あんまりですよ。私は決して下品な男ではないんです。これから大いに勉強もしようと思っているのです。出家というものは、高貴なものです。馬鹿になさらず、どうかどうかお見捨てなく、いつまでもお附き合いを願います。たまにはお手紙も下さいよ。あんなに皆に遊びに来いと書き送ってやったのだから、誰かひとり、ひょっとしたらお見えになるかも知れぬ、と毎日毎日むなしく待ちこがれ、落葉が風に吹かれて地を這《は》う音を、都の人の足音かと飛立って外に駈《か》け出し、蕭条《しょうじょう》たる冬木立を眺めて溜息《ためいき》をつき、夜は早く寝て風が雨戸をゆり動かすのを、もしや家から親御さまのお迎えかなど、らちも無い空頼みしていそいで雨戸をあけると寒月|皎々《こうこう》と中空に懸《かか》り、わが身ひとつはもとの身にして、南無阿弥陀《なむあみだ》と心底からの御念仏を申し、掛蒲団《かけぶとん》を裏返しにして掛けて寝ると恋しい女の面影《おもかげ》を夢に見ると言伝えられているようですから、こんな淋《さび》しい夜にこそ、と思うのですが、さて、私にはこれぞと定《きま》った恋人も無く、誰でもいいとはいうものの、さあ、誰の面影が出るか、など考えて、実に馬鹿らしくなり、深夜|暗闇《くらやみ》の中でひとりくすくす笑ってしまいました。ばばさまの面影などが出ては、たまりません。こんな味気ない夜には、お酒でもあると助かるのですが、この辺の地酒は、へんにすっぱくて胸にもたれ、その上、たいへん高価なので、いまいましく、十日にいちど五合くらい買って我慢しています。この山里の人は、何かと慾《よく》が深く
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