来ませんでしたという口上で、三人はそれを聞いて利左の行末を思い、いまさらながら、ぞっとして、わが身の上も省《かえりみ》られ、ああ、もう遊びはよそう、と何だかわけのわからぬ涙を流して誓約し、いよいよ寒さのつのる木枯しに吹きまくられて、東海道を急ぎに急ぎ、おのおのわが家に帰りついてからは、人が変ったみたいにけち臭くよろずに油断のない男になり、ために色街は一時さびれたという、この章、遊興もほどほどに止《とど》むべしとの戒歟《いましめか》。
[#地から2字上げ](置土産、巻二の二、人には棒振虫同前に思はれ)
[#改ページ]

   吉野山

 拝啓。その後は、ごぶさたを申して居《お》ります。めでたく御男子御出生の由《よし》、大慶に存じます。いよいよ御家運|御隆昌《ごりゅうしょう》の兆《きざし》と、おうらやましく思います。御一家いきいきと御家業にはげみ、御夕食後の御団欒《ごだんらん》はまた格別の事でありましょう。このお正月は御男子御出生と二つお目出度が重《かさな》り、京の初春もわがものと思召《おぼしめ》し、ひとしお御一家の笑声も華やかに、昔の遊び仲間も集り、都の極上の酒を酌交《くみかわ》し、とかく楽しみは京の町人、それにつけても先年おろかな無分別を起して出家し、眼夢とやら名を変えて吉野の奥にわけ入った九平太は、いまどうしているかしらんと、さだめし一座の笑草になさった事でございましょうね。いや味《み》を申し上げているのではありません。眼夢、かくの如《ごと》く、いまはつくづく無分別の出家|遁世《とんせい》を後悔いたし、冬の吉野の庵室《あんしつ》に寒さに震えて坐《すわ》って居ります。思えば、私の遁世は、何の意味も無く、ただ親兄弟を泣かせ、そなた様をはじめ友人一同にも、無用の発心《ほっしん》やめ給《たま》え、と繁《しげ》く忠告致されましたが、とめられると尚更《なおさら》、意地になって是が非でも出家遁世しなければならぬような気持ちになり、とめるな、とめるな、浮世がいやになり申した、明日ありと思う心の仇桜《あだざくら》、など馬鹿《ばか》な事を喚《わめ》いて剃髪《ていはつ》してしまいまして、それからすぐそっと鏡を覗《のぞ》いてみたら、私には坊主頭《ぼうずあたま》が少しも似合わず、かねがね私の最も軽蔑《けいべつ》していた横丁の藪医者《やぶいしゃ》の珍斎にそっくりで、しかも私の頭のあちこちに小さい禿《はげ》があるのを、その時はじめて発見|仕《つかまつ》り、うんざりして、実は既にその時から少し後悔していたのです。白状のしついでに私の出家遁世の動機をも、いまは包まず申し上げますが、私はあなた様たちのお仲間にいれてもらって一緒にお茶屋などに遊びにまいりましても、ついに一度も、もてた事はなく、そのくせ遊びは好きで、あなた様たちの楽しそうな様子を見るにつけても、よし今夜こそはと店の金をごまかし血の出るような無理算段して、私のほうからあなた様たちをお誘い申し、そうしてやっぱり、私だけもてず、お勘定はいつも私が払い、その面白《おもしろ》くない事、或《あ》る夜やぶれかぶれになって、女に向い、「男は女にふられるくらいでなくちゃ駄目《だめ》なものだ」と言ったら、その女は素直に首肯《うなず》き、「本当に、そのお心掛けが大事ですわね」と真面目《まじめ》に感心したような口調で申しますので、立つ瀬が無く、「無礼者!」と大喝《だいかつ》して女を力まかせに殴り、諸行無常を観じ、出家にならねばならぬと覚悟を極《き》めた次第で、今日つらつら考えると私のような野暮で物欲しげで理窟《りくつ》っぽい男は、若い茶屋女に好かれる筈《はず》はなく、親爺《おやじ》のすすめる田舎女でも、おとなしくもらって置けばよかったとひとりで苦笑致して居ります。まことに山中のひとり暮しは、不自由とも何とも話にならぬもので、ごはんの煮たきは気持ちもまぎれて、まだ我慢も出来ますが、下着の破れを大あぐら掻《か》いて繕い、また井戸端《いどばた》にしゃがんでふんどしの洗濯《せんたく》などは、御不浄の仕末以上にもの悲しく、殊勝らしくお経をあげてみても、このお経というものも、聞いている人がいないとさっぱり張合いの無いもので、すぐ馬鹿らしくなって、ひとりで噴き出したりして、やめてしまいます。立ち上って吉野山の冬景色を見渡しても、都の人たちが、花と見るまで雪ぞ降りけるだの、春に知られぬ花ぞ咲きけるだの、いい気持ちで歌っているのとは事違い、雪はやっぱり雪、ただ寒いばかりで、あの嘘《うそ》つきの歌人めが、とむらむら腹が立って来ます。このように寒くては、墨染の衣一枚ではとてもしのぎ難《がた》く、墨染の衣の上にどてらをひっかけ、犬の毛皮を首に巻き、坊主頭もひやひやしますので寝ても起きても頬被《ほおかぶ》りして居ります。この犬の毛皮は、この山の下
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