るのさ。かまわないでくれ。遊びの果は皆こんなものだ。ふん。いまにお前たちだって、どんな事になるかわかったものじゃない。一生引受けたは笑わせやがる。でもまあ昔の馴染甲斐《なじみがい》に江戸の茶碗酒《ちゃわんざけ》でも一ぱい振舞ってやろうか。利左は落ぶれてもお前たちのごちそうにはならんよ。酒を飲みたかったら附いて来い。あはは。」と空虚な笑い方をして、小桶を手にさげてすたすた歩く。三人は、気まずい思いで顔を見合せ、とにかく利左の後を追って行くと、利左はひどく汚い居酒屋へのこのこはいって行って、財布をさかさに振り、
「おやじ、これだけある。昔の朋輩《ほうばい》におごってやるんだ。茶碗で四はい。」と言って、昔に変らず気前のいいところを見せたつもりで、先刻の二十五文を残らず投げ出せば、入口でうろうろしている三人は、ああ、あの金は利左の妻子が今夜の米代としてあてにして、いまごろは鍋《なべ》を洗って待っているだろうに、おちぶれても、つまらぬ意地と見栄《みえ》から、けちでないところを見せたつもりかも知れないが、あわれなものだ、と暗然とした。
「おい、まごまごしてないで、ここへ腰かけて飲めよ。茶碗酒の味も忘れられぬ。」と口をゆがめて苦笑いしながら、わざと下品にがぶがぶ飲み、手の甲で口のまわりをぐいとぬぐって、「ああ、うめえ。」とまんざら嘘《うそ》でもないように低く呻《うめ》いた。三人も、おそるおそる店の片隅《かたすみ》に腰をおろして、欠けた茶碗を持ち無言で乾盃《かんぱい》して、少し酔って来たので口も軽くなり、
「時に利左、いまでも、やはり吉州と?」
「いまでも、とは何だ。」と利左は言葉を荒くして聞きとがめ、「粋人らしくもねえ。口のききかたに気をつけろ。」と言って、すぐまた卑屈ににやりと笑い、「その女ゆえに、御覧のとおりのぼうふら売りさ。悪い事は言わねえ。お前たちもいい加減に茶屋遊びを切り上げたほうがいいぜ。上方一と言われた女も、手活《ていけ》の花として眺《なが》めると、三日|経《た》てば萎《しお》れる。いまじゃ、長屋の、かかになって、ひとつき風呂《ふろ》へ行かなくても平気でいる。」
「子供もあるのか。」
「あたりめえよ。間の抜けた事を聞くな。親にも似ねえ猿《さる》みたいな顔をした四つの男の子が、根っからの貧乏人の子らしく落ちついて長屋で遊んでいやがる。見せてやろうか。少しはお前たちのいましめになるかも知れねえ。」
「連れて行ってくれ。吉州にも逢いたい。」と吉郎兵衛は本音を吐いた。利左は薄気味悪い微笑を頬《ほお》に浮べて、
「見たら、あいそが尽きるぜ。」と言い、蹌踉《そうろう》と居酒屋を出た。
 谷中《やなか》の秋の夕暮は淋しく、江戸とは名ばかり、このあたりは大竹藪《おおたけやぶ》風にざわつき、鶯《うぐいす》ならぬむら雀《すずめ》の初音町《はつねちょう》のはずれ、薄暗くじめじめした露路を通り抜けて、額におしめの滴《しずく》を受け、かぼちゃの蔓《つる》を跨《また》ぎ越え、すえ葉も枯れて生垣《いけがき》に汚くへばりついている朝顔の実一つ一つ取り集めている婆《ばば》の、この種を植えてまた来年のたのしみ、と来年どころか明日知れぬ八十あまりらしい見るかげも無き老躯《ろうく》を忘れて呟いている慾《よく》の深さに、三人は思わず顔を見合せて呆《あき》れ、利左ひとりは、何ともない顔をして小腰をかがめ、婆さま、その朝顔の実を一つ二つわしの家へもわけて下さいまし、何だか曇ってまいりましていけませぬ、など近所のよしみ、有合せのつらいお世辞を言い、陰干しの煙草《たばこ》をゆわえた細縄《ほそなわ》の下をくぐって突き当りのあばらやの、窓から四歳の男の子が、やあれ、ととさまが、ぜぜ持ってもどらしゃった、と叫ぶもふびん、三人の足は一様に立ちすくんだ。利左は平気を装い、
「ここだ、この家だ。三人はいったら、坐《すわ》るところが無いぞ。」と笑い、「おい、お客さまだぞ。」と内儀に声を掛ければ、内より細き声して、
「そのお三人のうち、伊豆屋《いずや》吉郎兵衛さま、お帰り下さいまし。そのお方には昔お情にあずかった事がございます。」という。吉郎兵衛へどもどして、
「いや、それはお固い。昔の事はさらりと水に流して。」と言えば、利左も、くるしそうに笑い、
「そうだ、そうだ。長屋の嬶《かか》にお情もくそもあるものか。自惚《うぬぼれ》ちゃいけねえ。」とすさんだ口調で言い、がたぴし破戸《やれど》をあけて三人を招き入れ、「座蒲団《ざぶとん》なんて洒落たものはねえぞ。お茶くらいは出す。」
 女房《にょうぼう》は色青ざめ、ぼろの着物の裾《すそ》をそそくさと合せて横坐りに坐って乱れた髪を掻《か》き上げ、仰向いて三人の顔を見て少し笑い、
「まあ。」と小さい声で言ったきり、お辞儀をするのも忘れている。亭主《ていしゅ
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