勇んであのいそがしい年末の一夜、十両の合力《ごうりき》を気前よく引受けたのだ、誰をも疑うわけに行かぬ、下手な事を言い出したら町内の大騒動、わが身の潔白を示そうとして腹を切る男など出て来ないとも限らぬ、さりとて百両といえば少からぬ金額、あの夫婦の行末も気の毒、このまま捨て置くわけにも行くまい、とにかくこの事件はわれらが手に余ると分別を極め、ひそかに役人に訴え申し、金の詮議《せんぎ》を依頼した。
この不思議な事件の吟味を取扱った人は、時の名判官板倉殿、年内余日も無く皆々渡世のさわりもあるべし、正月二十五日に詮索をはじめる、そのあいだ、かの十人の者ひとりも他国|仕《つかまつ》るな、という仰《おお》せがあり、やがて初春の二十五日に、お役所からお達しがあり、かの十人の者ども各々《おのおの》その女房を召連れてまかり出ずべし、もし女房無き者は、その姉妹、あるいは姪《めい》伯母、かねて最も近親の女をひとり同道して出頭致すべしとの上意。情をかけてこんな迷惑、親爺《おやじ》の遺言に貧乏人とは附合うなとあったが、なるほどここのところだ、十両の大金を捨て、そのうえお役所へ呼び出されるとはつまらぬ、とかく情は損のもと也、と露骨な卑《いや》しい愚痴を言うものもあり、とにかく女房を連れておそるおそるお白洲《しらす》に出ると、板倉殿は笑いながら十人の者に鬮《くじ》引きをさせて、一、二の順番をきめ、その順序のとおりに十組の名を大きな紙に書きしたためて番附を作り、お役所の前に張出させて、さて威儀を正していかめしく申し渡すよう、
「このたび百両の金子紛失の件、とにもかくにも、そちたちの過怠、その場に居合せながら大金の紛失に気附かざりしとは、察するところ、意地汚く酒を過し、大酔に及んだがためと思われる。飲酒の戒《いましめ》もさる事ながら、人の世話をするなら、素知らぬ振りしてあっさりやったらよかろう。救われた人を眼の前に置いてしつっこく、酒など飲んでおのれの慈善をたのしむなどは浅間しい。早く夫婦二人きりにさせて諸支払いの算用をさせるようにしむけてやるのが、まことの情だ。なまなかの情は、かえって人を罪におとす。以後は気を附けよ。罰として、きょうからあの表に張り出してある番附の順序に従って一日に一組ずつ、ここにある太鼓に棒をとおして、それぞれ女房と二人でかつぎ、役所の門を出て西へ二丁歩いて、杉林《すぎばやし》の中を通り抜け、さらに三丁、畑の間の細道を歩き、さらに一丁、坂をのぼって八幡宮《はちまんぐう》に参り、八幡宮のお札《ふだ》をもらって同じ道をまっすぐに帰って来るよう、固く申しつける。」との事で、一同これは世にためし無き異なお仕置きと首をかしげたが、おかみのお言いつけなれば致し方なく、ばかばかしくもその日から、夫婦で太鼓をかついで八幡様へお参りして来なければならなくなった。耳ざとい都の人にはいち早くこの珍妙の裁判の噂《うわさ》がひろまり、板倉殿も耄碌《もうろく》したか、紛失の金子の行方も調べずに、ただ矢鱈《やたら》に十人を叱《しか》って太鼓をかつがせお宮参りとは、滅茶《めちゃ》苦茶だ、おおかた智慧者《ちえしゃ》の板倉殿も、このたびの不思議な盗難には手の下し様が無く、やけっぱちで前代|未聞《みもん》の太鼓のお仕置きなど案出して、いい加減にお茶を濁そうという所存に違いない、と物識《ものし》り顔で言う男もあれば、いやいやそうではない、何事につけても敬神崇仏、これを忘れるなという深いお心、むかし支那《しな》に、夫婦が太鼓をかついでお宮まいりをして親の病気の平癒《へいゆ》を祈願したという美談がある、と真面目《まじめ》な顔で嘘《うそ》を言う古老もあり、それはどんな書物に出ています、と突込まれて、それは忘れたがとにかくある、と平気で嘘の上塗りをして、年寄りの話は黙って聞け、と怒ってぎょろりと睨《にら》み、とにかく都の評判になり、それ見に行けとお役所の前に押しかけ、夫婦が太鼓をかついでしずしずと門から出て来ると、わあっと歓声を挙げ、ばんざいと言う者もあり、よう御両人、やけます、と黄色い声で叫ぶ通人もあり、いずれも役人に追い払われ、このたびのお仕置きは、諸見物の立寄る事かたく御法度《ごはっと》、ときびしく申しわたされ、のこり惜しそうに、あとを振り返り振り返り退散して、夫婦はそれどころで無く大不平、なんの因果で、こんな太鼓をかついでのこのこ歩かなければならぬのか、思えば思うほど、いまいましく、ことにも女は、はじめから徳兵衛の事などかくべつ可哀想《かわいそう》とも思わず、一銭の金でも惜しい大晦日《おおみそか》に亭主が勝手に十両などという大金を持ち出し、前後不覚に泥酔して帰宅して、何一ついいことが無かった上に亭主と共にお白洲に呼び出され、太鼓なんか担《かつ》がせられて諸人の恥さらしになるのだ
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