でこすり、それがために額は紫色に異様にてかてか光っている。でっぷりと太って大きく、一挙手一投足のろくさく、武芸はきらい、色情はさかん、いぎたなく横坐《よこずわ》りに坐って、何を思い出しているのか時々、にやりと笑ったりして、いやらしいったら無い子であった。けれどもこの子は、どういうものか若殿村丸のお気にいりで、蛸《たこ》よ蛸よと呼ばれて、いつもお傍《そば》ちかく侍《はべ》って若殿にけしからぬ事を御指南申したりして、若殿と共にげらげら下品に笑い合っているのである。もとより式部はこの丹三郎を好かなかった。このたびの蝦夷見物のお供にもこの子を加えたく無かったのだが、自分の一子勝太郎が城主の言いつけでお供の一人に差加えられているし、同役の森岡丹後の子を無下にしりぞける事は出来なかった。同役への義理である。森岡丹後も親の慾目《よくめ》から末子の丹三郎をそれほど劣った子とは思っていないらしく、
「神崎どの、このたびは運悪く私が留守番にまわりましたが、私のかわりに末子の丹三郎が仕合せとお供の端に加えられましたから、まあ、あれの土産話でも、たのしみにして待っている事に致しましょう。それにつけてもあれも初旅、なりばかり大きくてもまだほんの子供ゆえ、諸事よろしくたのみますぞ。」と親の真情、ぴたりと畳に両手をついてお辞儀をしたのだ。いや、あの子はどうも、とは言われない。その上、若殿から蛸もぜひとの内命があったのだから、どうしても蛸をお供の人数に差加えないわけにはゆかぬ。しぶしぶ丹三郎を連れて国元を出発したが、京を過ぎて東路《あずまじ》をくだり、草津《くさつ》の宿《しゅく》に着いた頃には、そろそろ丹三郎、皆の足手まといになっていた。だいいち、ひどく朝寝坊だ。若殿と二人で夜おそくまで、宿の女中にたわむれて賭事《かけごと》やら狐拳《きつねけん》やら双六《すごろく》やら、いやらしく忍び笑いして打興じて、式部は流石《さすが》に見るに見兼ね、
「あすは早朝の出発ゆえ、もはや、おやすみなさるよう。」と思い切って隣室から強く言っても、若殿は平気で、
「遊山《ゆさん》の旅だ。かまわぬ。のう、蛸め。」
「はあ。」と蛸は答えて、にやにや笑っている。そうして、翌朝、蛸は若殿よりもおそく起きる。この丹三郎ひとりの朝寝坊のために、一行の宿からの出発が、いつもおくれる。若殿は、のんきに、
「捨て置け。あとから追いつく。」と言い、蛸ひとりを宿に置いてさっさと発足しようとなさるが、神崎式部は丹三郎の親の丹後から、あの子をよろしくと、一言たのまれているのだ。捨て置いて発足するわけには行かぬ。わが子の勝太郎に言いつけて、丹三郎を起させる。勝太郎は丹三郎よりも一つ年下である。それゆえすこし遠慮の言葉使いで丹三郎を起す。
「もし、もし。御出発でございます。」
「へえ? ばかに早いな。」
「若殿も、とうにお仕度がお出来になりました。」
「若殿は、あれから、ぐっすりお休みになられたらしいからな。おれは、あれから、いろいろな事を考えて、なかなか眠られなかった。それに、お前の親爺《おやじ》のいびきがうるさくてな。」
「おそれいります。」
「忠義もつらいよ。おれだって、毎夜、若殿の遊び相手をやらされて、へとへとなんだよ。」
「お察し申して居《お》ります。」
「うん、まったくやり切れないんだ。たまには、お前が代ってくれてもよさそうなものだ。」
「は、お相手を申したく心掛けて居りますが、私は狐拳など出来ませんので。」
「お前たちは野暮だからな。固いばかりが忠義じゃない。狐拳くらい覚えて置けよ。」
「はあ、」と気弱く笑って、「それにしても、もう皆様が御出発でございますから。」
「何が、それにしても、だ。お前たちは、おれを馬鹿にしているんだ。ゆうべも、その事を考えて、くやしくて眠れなかったんだ。おれも親爺と一緒に来ればよかった。親から離れて旅に出ると、どんなに皆に気がねをしなけりゃならぬものか、お前にはわかるまい。おれは国元を出発してこのかた、肩身のせまい思いばかりしている。人間って薄情なものだ。親の眼のとどかないところでは、どんなにでもその子を邪険に扱うんだからな。いや、お前たちの事を言っているんじゃない。お前たち親子は立派なものさ。立派すぎて、おつりが来らあ。このたびの蝦夷見物がすんだなら、おれはお前たち親子の事を逐一、国元の殿様と親爺にお知らせするつもりだ。おれには、なんでもわかっているんだ。お前の親爺は、ずいぶんお前を可愛《かわい》がっているらしいじゃないか。隠さなくたっていい。ゆうべこの宿に着いた時、お前の親爺は、これ勝太郎、足の豆には焼酎《しょうちゅう》でも吹いて置け、と言ったのをおれは聞いたぞ。おれには、あんな事は言わない。皆の見ている前では、いやにおれに親切にしてみせるが、へン、おれにはちゃん
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