であったのう。そちのお蔭《かげ》で国土の重宝はよみがえった。さらに一両の褒美《ほうび》をとらせる。川に落ちた銭は、いたずらに朽ちるばかりであるが、人の手から手へ渡った金は、いつまでも生きて世にとどまりて人のまわり持ち。」としんみり言って、一両の褒美をつかわし、ひらりと馬に乗り、戞々《かつかつ》と立ち去ったが、人足たちは後を見送り、馬鹿な人だと言った。智慧《ちえ》の浅瀬を渡る下々の心には、青砥の深慮が解《げ》しかね、一文惜しみの百知らず、と笑いののしったとは、いつの世も小人はあさましく、救い難《がた》いものである。
 とにかくに、手間賃の三両、思いがけないもうけなれば、今宵《こよい》は一つこれから酒でも飲んで陽気に騒ごうではないかと、下人の意地汚なさ、青砥が倹約のいましめも忘れて、いさみ立ち、浅田はれいの気前のよいところを見せて褒美の一両をあっさりと皆に寄附したので一同いよいよのぼせ上り、生れてはじめての贅沢《ぜいたく》な大宴会をひらいた。
 浅田は何といっても一座の花形である。兄貴のおかげで今宵の極楽、と言われて浅田、よせばよいのに、
「さればさ、あの青砥はとんだ間抜けだ。おれの腹掛けから取り出した銭とも知らないで。」と口をまげてせせら笑った。一座あっと驚き、膝《ひざ》を打ち、さすがは兄貴の発明おそれいった、世が世ならお前は青砥の上にも立つべき器量人だ、とあさはかなお世辞を言い、酒宴は一そう派手に物狂わしくなって行くばかりであったが、真面目な人はどこにでもいる。突如、宴席の片隅《かたすみ》から、浅田の馬鹿野郎! という怒号が起った。小さい男が顔を蒼《あお》くして浅田をにらみ、
「さいぜん汝《なんじ》の青砥をだました自慢話を聞き、胸くそが悪くなり、酒を飲む気もしなくなった。浅田、お前はひどい男だ。つねから、お前の悧巧《りこう》ぶった馬面《うまづら》が癪《しゃく》にさわっていたのだが、これほど、ふざけた奴《やつ》とは知らなかった。程度があるぞ、馬鹿野郎。青砥のせっかくの高潔な志も、お前の無智な小細工で、泥棒《どろぼう》に追銭みたいなばからしい事になってしまった。人をたぶらかすのは、泥棒よりもなお悪い事だ。恥かしくないか。天命のほどもおそろしい。世の中を、そんなになめると、いまにとんでもない事になるにきまっているのだ。おれはもう、お前たちとの附合《つきあ》いはごめんこうむる。きょうよりのちは赤の他人と思っていただきたい。おれは、これから親孝行をするんだ。笑っちゃいけねえ。おれは、こんな世の中のあさましい実相を見ると、なぜだか、ふっと親孝行をしたくなって来るのだ。これまでも、ちょいちょいそんな事はあったが、もうもう、きょうというきょうは、あいそが尽きた。さっぱりと足を洗って、親孝行をするんだ。人間は、親に孝行しなければ、犬畜生と同じわけのものになるんだ。笑っちゃいけねえ。父上、母上、きょうまでの不孝の罪はゆるして下さい。」などと、議論は意外のところまで発展して、そうしてその小男は声を放って泣いて、泣きながら家へ帰り、翌《あく》る朝は未明に起き柴《しば》刈り縄《なわ》ない草鞋《わらじ》を作り両親の手助けをして、あっぱれ孝子の誉《ほま》れを得て、時頼公に召出され、めでたく家運隆昌に向ったという、これは後の話。
 さて、浅田の狡智《こうち》にだまされた青砥左衛門尉藤綱は、その夜たいへんの御機嫌《ごきげん》で帰宅し、女房子供を一室に集めて、きょうこの父が滑川を渡りし時、火打袋をあけた途端に銭十一文を川に落し、国土の重宝永遠に川底に朽ちなん事の口惜しさに、人足どもを集めて手間賃三両を与え、地獄の底までも捜せよと下知したところが、ひとりの発明らしき顔をした人足が、足の指先を以《もっ》て川底をさぐり、たちまち銭十一文のこらず捜し出し、この者には特に一両の褒美をとらせた、たった十一文の銭を捜すために四両の金を使ったこの父の心底がわかるか、と莞爾《かんじ》と笑い一座を見渡した。一座の者はもじもじして、ただあいまいに首肯した。
「わかるであろう。」と青砥は得意満面、「川底に朽ちたる銭は国のまる損。人の手に渡りし金は、世のまわり持ち。」とさっき河原で人足どもに言い聞かせた教訓を、再びいい気持で繰り返して説いた。
「お父さま、」と悧発《りはつ》そうな八つの娘が、眼をぱちくりさせて尋ねた。「落したお金が十一文だという事がどうしてわかりました。」
「おお、その事か。お律は、ませた子だの。よい事をたずねる。父は毎朝小銭を四十文ずつ火打袋にいれてお役所に行くのです。きょうはお役所で三文使い、火打袋には三十七文残っていなければならぬ筈のところ、二十六文しか残っていませんでしたから、それ、落したのは、いくらになるであろうか。」
「でも、お父さまは、けさ、お役所へいらっし
前へ 次へ
全53ページ中27ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング