ました。どうにも仕様が無くなれば、あなたに何もかも打ち明けて、おゆるしを願い、今後の事も相談しようと思っていました。あなたは、きっと僕たちの事を、ゆるして下さるだろうと、なぜだか、そんな気がしていたのです。さっき、あなたに呼びとめられ、ひやっとしました。来たな、と思いました。ちょうどよい機会だ、こちらから全部、打ち明けてやろうと覚悟して、あなたの顔を見ると真蒼《まっさお》で、ひどく取乱して居られる様子なので、急にいやになり、逃げようとしたら、あなたが僕の腕をつかんで辞表を出したのなんのと、大変な事を言うので僕は、他にも何か事件が起きたのかしらんと思い、あなたに尋ねたら、あなたは城中の噂、とおっしゃったので、ああ、あれか、と早合_してしまったわけなのです。決して、故意にはぐらかしたのではありません。僕は卑怯な男ではないのです。」
ポロ。「御弁舌さわやかでございます。なかなか、たくみに言いのがれをなさる。けれども、ポローニヤスは、もう、だまされません。何も、今さらそんなにクローヂヤスさまや、王妃さまの事を、出し抜けに問題になさる必要が無いじゃありませんか。あなたは、それを、てれ隠しの道具に使っていらっしゃるのだ。こじつけです。やはり、なんだか、ごまかそうとしていらっしゃる。もっと、当面の問題を、はっきりお伺いしたいのです。」
ハム。「疑い深いね。そんなに、しつっこく追及されると、僕も開き直って、もっと馬鹿正直に言ってやりたくなります。きのう迄は、僕の悩みは一つしか無かった。オフィリヤ。それだけです。けれどもゆうべ、僕は、もう一つの不愉快極まる話を聞いてしまったのです。もうオフィリヤどころでは無い、と言えば、あなたはすぐに醜聞の風向きを変えるの、てれ隠しの道具に使うのと冷笑しますが、決して、そんなことはない。僕は、ゆうべは、くるしみましたよ。淋《さび》しかった。たまらなく淋しかった。ベッドの中で泣きました。何もかも、ばからしく、腹立たしく、やり切れない思いでした。二つの問題が、異様にからみ合って、手がつけられない。オフィリヤどころでは無い、というのは言いかたが、まずいので、オフィリヤの事も念頭より離れず、それに今度の恐ろしい疑惑が覆《おお》いかぶさり、乱雲が、もくもく湧《わ》き立ち、流れ、かさなり、僕の苦しみが三倍にも五倍にも、ふくれあがって、ゆうべは、本当に、一睡も出来ませんでした。発狂したら、いっそ気楽だ。ポローニヤス、わかりますか? あなたから、城中の残念な噂、と言われて、オフィリヤの事か? とちらと考えてもみたのですが、僕には、その事よりも、もっと色濃く、もう一つの噂のほうが問題だったので、ついそのほうに話を持って行きましたが、決して故意に、そらとぼけたわけではないのです。そんな出方《でかた》もあったか、などと言われると、僕は実に、どうにも不愉快だ。殴ったのは、僕の失態でした。ごめんなさい。かっとしちゃったのです。でも、あなたも、これからは、あんな不愉快な言いかたは、しないで下さい。オフィリヤの事なら、心配は要りません。結婚します。あたり前の事です。どんな障害があっても、結婚しなければいけません。僕は、オフィリヤを愛しています。ただ、僕のくるしんでいるのは、王と王妃に僕たちの事を告白し、そのおゆるしを得る事です。僕は、あの人たちに打ち明けて、お願いするのは、なんとしても、いやなのです。死んだほうがいい。ことにも、ゆうべ、あんな噂を耳にしたので、なおさら打ち明けるのが苦痛になった。僕は、とにかく、あの噂の根元《こんげん》を、突きとめてみたい。何か、ある。きっと、ある。僕には、そんな予感がする。根も葉も無い噂だとしたなら、僕は幸福だ。かえって、それを機会に、あの人たちに僕の日頃の無礼を素直に詫《わ》びて釈然と笑い合う事が出来るよ、になるかも知れない。とにかく僕は、あの噂の真偽を、もっと追及してみたい。すべては、それからだ。ポローニヤス、わかりますか? オフィリヤの事は、しばらく、そっとして置いて下さい。無責任な事は、致《いた》しません。ああ、ポローニヤス、僕もなんだか勇気を得ました。きょうから僕は、勇気のある男になるんだ。くるしさの、とても逃げられぬどん底まで落ちると、人は新しい勇気を得るものだね。」
ポロ。「どうだか、あぶないものです。ハムレットさま、あなたは、お若い。あなた達のおっしゃる事は、なんだか、わしには信用できない。新しい勇気、とおっしゃるけれど、勇気ばかりで、もの事が、うまく行くものではありません。また、勇気を得たのなんのと、その場かぎりの興奮から軽薄な大袈裟《おおげさ》な事ばかりを言い散らす人は、昔から、なまけものの、お体裁屋《ていさいや》にきまって居ります。くるしいの、淋しいの、乱雲が湧き立ったのという気障《きざ》な言葉は、見どころのある男子の口にせぬものです。とても本気では聞いて居られぬ言葉です。もう薄鬚《うすひげ》も生えているのに、情無い。いつまで、いい気な夢を見ているのでしょう。もっと、しっかりして下さい。いまのあなたのお話で、とにかく、オフィリヤを一時のなぐさみものになさるおつもりでは、無かったという事だけは、わかりました。あなたを、お痛わしく思います。けれども、真の難関は、これからです。及ばずながら、ポローニヤスも御助勢申し上げますが、あなたも、もっと、しっかりして下さらなければ困ります。本当に、お願い致します。乱雲がもくもく湧き立ったのなんのという言葉は、これからは、なるべくおっしゃらないように。とても、まともには聞いて居られません。なんという、まずい事ばかりおっしゃるのでしょう。あなたも、そろそろ子供の父になるのですよ。」
ハム。「だから、だから、それだから僕は、くるしんでいるのです。くるしい時に、くるしいと言ってはいけないのですか? なぜですか? 僕は、いつでも、思っていることをそのまま言っているだけです。素直に言っているのです。本当に、淋しいから、淋しいと言うのです。勇気を得たから、勇気を得たと言うのです。なんの駈《か》け引《ひ》きも、間隙《かんげき》も無いのです。精一ぱいの言葉です。乱雲が覆いかぶさったという言葉も、あなたには、大袈裟な下手な形容のように聞えるかも知れませんが、僕にとっては、そのまま、目に見えるような事実なのです。皮膚感触なのです。真実、といっていいかも知れない。僕は、あなたを、オフィリヤとの血のつながりに依《よ》って、やっぱり愛しているのだから、それで安心して、僕の真実をそのままお伝えしようと思っているのだ。ちぇっ! 僕は、どうも、人を信頼し過ぎる。愛に夢中になりすぎる。」
ポロ。「どうだっていいじゃありませんか、ハムレットさま。世の中は、哲学の教室でもなし、あなただって、失礼ながら聖人賢者におなりになるおつもりでもございますまい。愛だの真実だの乱雲だのと、賢者の口真似《くちまね》をなさっている間にも、オフィリヤのおなかが、刻一刻と大きくなります。それだけは、たしかに、目に見える事実です。わしは、いまあなたに愛されたって、安心されたって、ちっとも有難い事は、ありません。かえって迷惑ですよ。いまは、ただ、オフィリヤの事が、――」
ハム。「だから、それだから、ああ、わからん、あなたには、わからん。それは安心していても、いいのですよ。ただ、僕のくるしさは、――」
ポロ。「くるしさという言葉は、ない事にしましょう。脊中がぞくぞくする。あなたは、さっきからその言葉を、もう百回は、おっしゃっています。くるしいのは、あなただけでは、ありません。わしの一家だって、あなたのおかげで滅茶滅茶なのですよ。わしは、もう辞表を提出しました。あすにも此《こ》の王城から出て行かなければなりません。事態は切迫しているのです。ハムレットさま、お力を貸していただきとう存じます。第一に、あなたのため、それからポローニヤス一家のために、執るべき手段は、ひとつしかありません。わしも、ゆうべ、眠らずに考えました。執るべき手段を考えました。ハムレットさま、お力を貸していただきとう存じます。」
ハム。「ポローニヤス、急にあらたまって、どうしたのです。僕みたいな若輩が、あなたの力になるなんて、とんでもない。からかわないで下さい。あなたこそ夢でも見ているのでは、ありませんか?」
ポロ。「ゆめ? そう、夢かも知れません。けれども、これこそは窮余の一策だ。ハムレットさま、ポローニヤスの忠誠を信じますか? いや、そんな事は、どうでもいい。つまらぬ事を言いました。ハムレットさま、あなたは正義を愛しますか?」
ハム。「気味が悪い。急にロマンチストになりましたね。まるで逆になった。こんどは僕が現実主義者になりそうだ。あなたの口から、正義だの忠誠だのという言葉を伺えるとは思いませんでした。いったい、どうしたのです。そんなに、うなだれてしまって、どうしたのです。何を考えているのです。」
ポロ。「ハムレットさま、わしは悪い人間ですねえ。おそろしい事を考えていました。娘の幸福のためには、王をさえ裏切ろうとする人間です。全部、打ち明けて申し上げます。ああ、いけない、ホレーショーがやって来ました。」
ホレーショー。ハムレット。ポローニヤス。
ホレ。「ハムレットさま、ひどい、ひどいなあ。僕は、大恥をかきましたよ。だまっているのだから、ひどいよ。もっとも、ゆうべは僕もいけませんでした。僕が要らない事ばかりおしゃべりして、それに何せ寒かったものですから、あなたのお話をよく聞こうとしなかったのが、失敗のもとでした。でも、もう、わかりました。ポローニヤスどの、このたびは、どうもとんだ事でしたねえ。御心配でしょう。それで? ハムレットさまは、いったい、どういう御意向なのですか? 此の際、ハムレットさまの御意向が、一ばん問題になると思うのですがね。」
ハム。「ひとりで何を早合点しているのだ。相変らず、そそっかしいねえ、君は。何をそんなに騒いでいるのだ。僕が君に恥をかかせた覚えは、無いよ。」
ホレ。「だめ、だめ。とぼけたって駄目《だめ》です。僕は、いま王さまから一切を聞いて来たのですからね。いや、笑い事じゃない。慎重に考えなければ、いけない事です。」
ハム。「そういう君こそ、なんだか、にやにや笑っているじゃないか。ひやかしちゃ、だめだよ。いったい何を、聞いて来たのさ。」
ホレ。「なあんだ、そんなにお顔を赤くなさっている癖に、まだ、とぼけようとしている。かえって僕のほうで、てれくさくって、くすぐったくて、つい、笑わざるを得ざる有様でございます。」
ハム。「畜生め。とうとう、見破りやがったな。畜生め、行くぞ!」
ホレ。「よし来た、組打ちならば、負けやしません。さあ、どうだ! これでもか。」
ハム。「平気、平気。畜生め、一ひねりだ。おっちょこちょいの、此の咽《のど》を、こんな具合にしめつけると、ぴいと鳴るから奇妙なものさ。」
ポロ。「およしなさい、およしなさい。なんです。こんな廊下でいきなり組打ちをはじめるなんて、乱暴じゃありませんか。お二人とも、悪ふざけは、およしなさい。わけがわからん。そんなに、お二人とも、げらげら笑って、掴《つか》み合いして、いったい、どうしたのです。よして下さい。いまは、そんな悪ふざけをしている場合ではありません。お互いに、も少し緊張する事にしましょうよ。さあさ、もういい加減におよしなさい。ホレーショーどのも、いったい、どうしたのです。ここは、大学と違うのですよ。」
ハム。「ポローニヤス、あなたには、わからんよ。僕たちは、ひどく、てれくさい時には、こうして滅茶な組打ちをする事にしているんだ。こうでもしなけれあ、おさまりがつかんじゃないか。」
ホレ。「まったくですよ。僕は、まんまと、だまされていたのだからなあ。ハムレットさま、ひどいよ。」
ハム。「そんなでもないさ。これにも、いろいろ、わけがありましてね。へッへ。」
ポロ。「ああ、そんな下品な笑いかたをなさって、なんという事です
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