ものです。無闇《むやみ》な指図の他は、お逆らいでも何でも許してあげますから、男らしく、もっとはっきり言いなさい。ハムレットは、私たちの事を何と言っていました。」
ホレ。「お気の毒だと、御同情申して居られました。」
王妃。「御同情? お気の毒? へんですね。あなたは、また、かばっているのですね? ハムレットから、いろいろ口どめされたのでしょう。」
ホレ。「いいえ、お言葉に逆らうようですが、ハムレットさまは、口どめなどと、そんな卑怯《ひきょう》な事をなさるお方ではありません。ハムレットさまは、その人に面《めん》とむかって言えない事は、陰でも決して申しません。言いたい事があると、必ず、面と向って申します。大学時代もそうだったし、いまだってそうです。だから、ハムレットさまは、いつも、そんばかりしています。」
王妃。「あなたは、ハムレットの事になると、すぐそんなに口をとがらせて、大声になりますが、よっぽど気が合っているものと見える。ハムレットは、身分を忘れ、もの惜しみという事も知らない質《たち》だから、目下《めした》の者には人気があるようですね。」
ホレ。「王妃さま。何をか言わむです。僕は、もうお答え致しません。」
王妃。「あなたの事を言ったのではありません。あなたは、ハムレットの親友じゃありませんか。ハムレットだけでなく、私だって、あなたを頼りにしています。こうしてお話を伺っているうちに、いろいろ私にもわかって来る事があるのです。そんなにすぐ怒るところなど、本当にハムレットそっくりです。いまの若い人たちは、少しずつ、どこか似ていますね。そんなに蒼《あお》い顔をなさらず、もっと打ち解けて私になんでも話して聞かせて下さい。ハムレットが他人の陰口を言わない子だという事も、あなたから伺ってはじめて知りました。もし、それが本当なら、私だってうれしく思います。あの子にも案外、いいところがあったのかも知れません。」
ホレ。「だから、僕がさっき、――」
王妃。「もうよい。ぶんを越えた、指図はゆるしません。あなたたちは、興奮し易《やす》くていけません。ハムレットはまた、何だって私たちを、気の毒だの何だのと、殊勝な事を言っているんでしょう。ふだんの、あの子らしくも無いじゃありませんか。本当かしら。」
ホレ。「王妃さま。僕でさえ、王妃さまをお気の毒に思います。」
王妃。「また、そんな事を言う。としよりをからかうのは、あなたたちの悪い癖です。私が、どうして気の毒なのです。さ、はっきり言ってみて下さい。私は、そんな、思わせぶりの言いかたは大きらいなのです。」
ホレ。「申し上げます。王妃さまは、ハムレットさまのお心を、何もご存じないからです。ハムレットさまは、ゆうべホレーショーに、こう言いました。僕がこのように若冠ゆえ、叔父上にも母上にも御迷惑をおかけする事が多くて、お気の毒だ、としみじみ申して居りました。叔父上が位に即《つ》いて下さって、僕はどんなに助かるかわからない、とも申して居りました。ハムレットさまは、現王の愛情を信じていらっしゃるのです。或《ある》いは、わがままを申し、或いは、いやがらせをおっしゃる事がありましても、それは叔父上と甥《おい》の間の愛情に安心して居られるからであります。一ばん近い肉親じゃないか、なんでもないんだ、僕は、甘えているのかも知れないが、でも叔父上だってわかって下さってもいいものを、愛情が憎悪《ぞうお》に変ったなどと叔父上はおひとりで、ひがんでおいでになるのだから可笑《おか》しいと申して居られたくらいです。僕は叔父上を本当は好きなんだ、とも申していました。それを伺ってホレーショーは、泣くほど嬉《うれ》しく有難く思いました。デンマーク万歳《ばんざい》を、心の中で叫びました。ハムレットさまは、立派な王子です。みだりに人を疑いません。御判断は麦畑を吹く春の風のように温く、爽《さわ》やかであります。一点の凝滞もありません。王妃さまの事は、もちろん生みの御母上として絶対の信頼と誇りとを以《もっ》てホレーショーに語って下さいます。この度の御結婚に就いても、人の子としてとやかくそれを下劣に批判申し上げるのは最大の悪徳、人間の仲間いりが出来ないと申して居ります。」
王妃。「誰が? 誰が、人間の仲間いりが出来ないのです。はっきり、もう一度、言ってみて下さい。」
ホレ。「はっきり申し上げている筈でございます。王妃の御結婚を、人の子として、とやかく卑《いや》しく想像するような下等な奴は、死んだほうがいいという意味であります。ハムレットさまの御気質は高潔です。明快であります。山中の湖水のように澄んで居ります。ホレーショーは、ゆうべはハムレットさまから数々の尊い御教訓を得たのであります。ハムレットさまは、僕たち学友一同の手本であります。」
王妃。「たいへんですね。ハムレットを、そんなに褒めていただいては、私まで顔が赤くなります。あなたの尊敬している子は、あの子ではなくて、どこかよその、ハムレットという名前の、立派な子なのでしょう。私には、あの子が、そんな男らしい口をきける子だとは、どうしても思えません。あなたは、どうしてそんなに言い繕うのですか。生みの母ほど、子の性質を、いいえ、子の弱点を、知っているものはありません。それは、そのまま母の弱点でもあるからです。私だって欠点の無い人間じゃないのです。私の人間としての到《いた》らなさは、可哀そうにあの子にも伝わっているのです。私は、あの子の事に就いては、あの子の、右足の小指の黒い片端爪《かたわづめ》まで知り抜いているのです。あなたが私を、うまく言いくるめようたって、それは出来ません。もっと打ち明けた話を聞かせて下さい。あなたは何か隠して居られる。ハムレットが、いまのあなたのおっしゃったように、ものわかりのいい素直な子だったら、私も心配はありません。けれども私には信じられないのです。あなたが私に、まるっきり嘘《うそ》をついていると思いません。あなたは、嘘の不得手な純真なお子です。また、あの子にも、いまあなたのおっしゃったような、あっさりした一面がたしかにある事も、私はとうから存じて居ります。ゆうべは、あなたに、そのいい一面も見せたのでしょう。けれども、あなたは他に、何か隠して居られる。あの子の此の頃の様子を見たって、すぐにわかる事ですが、あの子の本心は決して、いまのあなたのお言葉どおりに曇りなく割り切れているようでないのです。ただ、肉親という事実に安心し、甘えて駄々《だだ》をこねているのだとは、どうしても私には思われません。ホレーショー、どうですか。本当のところを知らせて下さい。母としての愛ゆえに、疑い深くなるのです。あなたが、懸命にハムレットを弁護して下さるのは、私も内心は嬉しく思っているのです。なんで嬉しくない事がありましょう。ハムレットは、いいお友達を持って仕合せです。でも、私の心配は、もっと深いところにあるのです。あの子が、何か苦しい事でもあるならば、率直に此の母に打ち明けてくれたらいいと私ひとりは、はらはらしているのに、ハムレットは、言を左右にして、ごまかしてばかりいるのです。ハムレットの今の難儀に、母も一緒に飛び込んで、誰にも知られず解決したいと念じているのです。わかりますか? 母は、おろゥなものです。さっきから、あなたに意地の悪いような事ばかり申しましたが、決してハムレットを憎くて言っているのではないのです。こんな事は、あんまり当り前すぎて、言うのも恥ずかしいのですが、私が、此の世で一ばん愛しているのは、あの子です。やっぱり、ハムレットです。愛しすぎているほどです。あの子が、ひとりで悶《もだ》えているさまを、私は見て居られないのです。お願いです。ホレーショー、私の力になって下さい。ハムレットは、どんな事でくるしんでいるのですか。あなたは、ご存じない筈がありません。」
ホレ。「王妃さま。僕は、存じていないのです。」
王妃。「まだ、そんな、――」
ホレ。「いいえ、残念ながら、僕は、本当に知らないのです。ゆうべ、実は、僕、大失態を致《いた》しました。たしかに、ハムレットさまには、王妃さまのおっしゃるように特別な内心の苦悩がおありのようでした。それを僕に、たいへん聞かせたい御様子でありましたが、僕はジャケツを着て居りませんでしたので、非常に寒く、落ちついて承る事が出来ませんでした。僕は、馬鹿であります。なんのお役にも立ちません。お役に立たないばかりか、ゆうべは、かえって罪をさえ犯しました。王妃さま、とんでもない事になってしまいました。僕はウイッタンバーグから、わざわざ放火をしにやって来たようなものでした。ゆうべは僕は、ベッドの中で唸《うな》りました。少しも眠られませんでした。責任は、すべて僕にあるのです。此の始末は、なんとしても、僕が必ず致します。きょうは、これからハムレットさまと、ゆっくり話合うつもりであります。」
王妃。「何をおっしゃる事やら。私には、ちっともわかりません。あなたたちのおっしゃる話は、まるで、雲からレエスが降って来るような、わけのわからない事ばかりで、何が何やら、さっぱり見当もつきません。それは一体、どんな意味なのです? 何かハムレットと言い争いでもしたのですか。それならば、私が仲裁をしてあげてもいいのです。わけもない、哲学の議論でもはじめたのでしょう。そんなに心配する事は、ありません。」
ホレ。「王妃さま。僕たちは、子供ではありません。そんな単純な事ではないのです。僕は、平和な御家庭に火を放《つ》けました。僕は、ユダです。ユダより劣った男です。僕は、愛している人たち全部を裏切ってしまいました。」
王妃。「急に泣き出したりして、立派な男の子が、みっともない。どうしたらいいのです。あなたたちは、いつでも、そんなユダが火を放けたのなんのとお芝居のような大袈裟《おおげさ》な、きざな事を言い合って、そうして泣いたり笑ったりして遊んでいるのですか? けっこうな遊戯です。たのもしい事です。ホレーショー、おさがりなさい。きょうは許してあげますが、これからは気をつけて下さい。」
王。王妃。ホレーショー。
王。「ここにいたのか。ずいぶん捜しました。おお、ホレーショーも。ちょうどよい。けさ挨拶《あいさつ》に来てくれた時には、わしは、いそがしくて、ろくに話も出来ませんでしたが、いろいろ君に相談をしたい事もあったのです。元気が無いじゃないか。どうかしたのですか?」
王妃。「ホレーショーは、もう、おさがり。ユダが火を放けたのなんのと言って、大の男が、泣いて見せるのですもの。なんの役にも立ちやしません。」
王。「ユダが火を放けた? 初耳です。何か、わけがあるのでしょう。王妃は、すぐ怒るからいけません。ホレーショーは、まじめな人物です。あとで、ゆっくり話してみましょう。」
ホレ。「失礼いたしました。実に、不覚でありました。王妃さまから、子の母として御真情を承り、つい胸が一ぱいになって、あらぬ事まで口走りました。お許し願いたく存じます。見苦しい姿を、お目にかけました。」
王。「ホレーショー、お待ちなさい。退出せずともよい。ここにいなさい。君にも聞かせて置きたい事があります。もっと、こっちへ来なさい。大きい声では言えない事です。ガーツルード、わしは驚いたよ。わかったのです。ハムレットの、いらいらしているわけが、やっと、わかりました。」
王妃。「そう。やはり私たちの事で?」
ホレ。「いいえ、責任は、すべて僕にあるのです。僕は、必ずや、――」
王。「二人とも、何を言っているのです。まあ、落ちつきましょう。わしも、ここへ坐《すわ》ります。ホレーショー、おかけなさい。君にも、相談に乗ってもらいたいのです。わしはいま、ポローニヤスから聞いて、驚いたのです。まったく、思いも寄らぬ事でした。ポローニヤスはわしに、辞表を提出しました。わしは、とにかく一応はお預りして置く事にしましたが、王妃、おどろいてはいけませんよ。落ちついて聞いて下さい。困った事です。オフ
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