しても、肩を叩《たた》き合って大笑いして、それっきりです。後々の傷にはなりません。けれども落第は、ちがいますよ。それを告白しても、人はそんなに無邪気に笑って聞きのがしては、くれません。お前は、どこやら、軽蔑《けいべつ》されてしまいます。出世のさまたげ、卑屈の基。人生は、学生々活にだけあると思うと、とんだ間違い。よくよく気をつけて、抜け目なくやっておくれ。ポローニヤスの子じゃないか。つぎに、学友の選びかたに就いて。これもまた重大です。一学年上の学生を、必ずひとり、友人にして置かなければならぬ。試験の要領を聞くためだ。試験官の採点の癖を教えてもらえる。さらに、もうひとり、同学年の秀才と必ず親交を結ばなければならぬ。ノオトを貸してもらい、また試験の時には、お前の座席のすぐ隣りに坐ってもらうためであります。学友は、その二人だけで充分です。不要の交友は、不要の出費。さて、次は、金銭に就いて。これは、とりわけ注意を要する。金銭フ貸借、一切、まかりならん。借りる事は、もとより不埒《ふらち》、貸す事もならん。餓死するとも借金はするな。世の中は、人を餓死させないように出来ています。うき世の人は、娘を嫁にやった事は忘れても、一両を他人に貸してやった事は忘れません。一両を十両にして返されても、やはり自分の貸してやった一両の事だけは忘れません。これまた永く出世のさまたげ。大望を抱く男は、一厘の借金もせぬものです。貸す事もならん。お前から借りた男は、必ずお前の悪口を言うだろう。自分で借りて肩身が狭く、お前をけむったいものだから、必ずどこかで、お前の陰口をたたきます。すなわち、やがて不和の基。お互いの友情に傷つくような事があっては残念ですから、わざとお貸し致しません、とはっきり言って相手の申し込みを断われるくらいの男でなければ、将来の大成は、まずむずかしいね。よいか? 金銭の取りあつかいには気をつけるのですよ。借りても駄目。貸しても駄目。つぎに飲酒。適度に行え。けれども必ず、ひとりで飲むな。ひとりの飲酒は妄想《もうそう》の発端、気鬱《きうつ》の拍車。飲めども飲めども気の晴れるものではない。一週一回、学友と飲め。それも、こちらから誘うのは、まずい。向うから誘われ、渋々応じるように心掛けるのが利巧者だ。意気込んで応じるのは、馬鹿のあわて者です。飲酒の作法は、むずかしい。泥酔《でいすい》して、へどを吐くは禁物。すべての人に侮《あなど》られる。大声でわめいて誰かれの差別なく喧嘩《けんか》口論を吹っ掛けるのも、人に敬遠されるばかりで、何一ついい事が無い。なるべくなら末席に坐り、周囲の議論を、熱心に拝聴し、いちいち深く首肯している姿こそ最も望ましいのだが、つい酒を過した時には、それもむずかしくなる。その時には、突然立ち上って、のども破れよとばかり、大学の歌を歌え。歌い終ったら、にこにこ笑って、また酒を飲むべし。相手から、あまりしつこく口論を吹っかけられた場合には、屹《き》っとなって相手の顔を見つめ、やがて静かに、君も淋《さび》しい男だね、とこう言え。いかな論客でも、ぐにゃぐにゃになる。けれども、なるべくならば笑って柳に風と受け流すが上乗。宴が甚《はなは》だ乱れかけて来たならば、躊躇《ちゅうちょ》せず、そっと立って宿へ帰るという癖をつけなさい。何かいい事があるかと、いつまでも宴席に愚図愚図とどまっているような決断の乏しい男では、立身出世の望みが全くないね。帰る時には、たしかな学友を選んでその者に、充分の会費を手渡す事を忘れるな。三両の会費であったら、五両。五両の会費であったら十両、置いてさっと引き上げるのが、いい男です。人を傷つけず、またお前も傷つかず、そうしてお前の評判は自然と高くなるだろう。ああ、それから飲酒に於《お》いて最も注意を要する事が、もう一つあります。それは、酒の席に於いては、いかなる約束もせぬ事。これは、よくよく気をつけぬと、とんだ事になる。飲酒は感激を呼び、気宇《きう》も高大になる。いきおい、自分の力の限度以上の事を、うかと引き受け、酔いが醒《さ》めて蒼くなって後悔しても、もう及ばぬ。これは、破滅の第一歩。酔って約束をしてはならぬ。つぎには、女。これもまた、やむを得ない。ただ、あの、自惚《うぬぼ》れだけは警戒しなさい。お前は、ポローニヤスの子だ。父と同様に、女に惚《ほ》れられる柄《がら》でない。お前は、小さい時から大鼾《おおいび》きをかく子であった事を忘れてはいけない。あのような大鼾きでは、女房以外の女なら必ず閉口します。女の誘惑に逢《あ》った時、お前は、きっとあの大鼾きを思い出す事にしなさい。いいか? フランスできらわれても、デンマークには、お前でなければいけないという綺麗な娘もいるんだから、そこはお父さんにまかせて、向うでは、あまり自惚れないほうがよい。若い時の女遊びは、女を買うのではなく、自分の男を見せびらかしに行くんだから、自惚れこそは最大の敵と思っていなさい。さて、次は、――」
 レヤ。「賭博《とばく》です。五両だけ損して笑って帰る事です。儲《もう》けては、いけませんのです。」
 ポロ。「その次は、――」
 レヤ。「服装の事です。いいシャツを着て、目立たぬ上衣《うわぎ》を着るのです。」
 ポロ。「その次は、――」
 レヤ。「宿のおばさんに手土産を忘れぬ事です。あまり親しくしてもいけないのです。」
 ポロ。「その次は、――」
 レヤ。「日記をつける事と、固パンを買って置く事と、鼻毛を時々はさむ事と、ああ、もう船が出ます。お父さん、お達者で。むこうに着いたら、ゆっくりお便りを差し上げます。オフィリヤ、さようなら、さっき兄さんの言った事を忘れちゃいかんよ。」
 ポロ。「あ、もう行ってしまった。なんて素早い奴だ。でも、まあ、あれくらい言って置いたらいいだろう。送金の限度に就いて言うのを忘れたが、あ、散策の必要も言い忘れたが、まあ、また後で手紙で言ってやる事にしよう。おや、オフィリヤ、顔色がよくないよ。兄さんが何かお前に無理な事を言ったんだね。わかっていますよ。お前にお小使い銭をねだったのでしょう? お父さんから貰《もら》うだけでは不足だから、これからも毎月こっそり何程かずつ送るようにお前をおどかして命令したんだ。いや、それに違いない。わるい奴さ。」
 オフ。「いいえ、お父さんちがいます。兄さんは、そんな、つまらないお方じゃないわ。大丈夫よ。いまのような、こまかい御注意などなさらなくても、兄さんは、みんな心得ていらっしゃるのに。」
 ポロ。「それあ、そうさ。当り前の事だ。二十三にもなって、あれくらいの事を心得ていないで、どうする。同じ年齢でも、ハムレットさまなどに較《くら》べると三倍も大人だ。レヤチーズは、此の親爺《おやじ》よりも偉くなる子です。でも、あんなにやかましく、こまごま言ってやるのは、わしの、深く考えた上での計略なんだ。あの子だって、うるさいとは思っていながら、自分に何かとやかましく言ってくれる者が在るという思いは、また、あれにとって生きて行く張り合いになるのです。あれの行末を、ずいぶん心配している者が、ここに一人いるという事を、あれに知ってもらったら、わしはそれで満足なのだ。いろいろ、うるさい注意も与えてやりましたが、なに、みな出鱈目《でたらめ》ですよ。どうだっていい事ばかりです。レヤチーズには、レヤチーズの生活流儀があるでしょう。時代も、かわっているでしょう。レヤチーズは、自由にやって行っていいのです。ただ一つ、わしが心配して気をもんでいるのだという事実だけを、知ってもらえたらいいのです。それを覚えている限り、あれは決して堕落しません。わしは、なくなったお母さんと二人分、気をもんでいるのだ。それを、あの子に知ってもらいたかったのです。あの子は、それさえ覚えていたら、それを覚えている限りは、ああ、わしは、同じ事ばかり言っている。老いの繰り言という奴だ。わしも、いつの間にか、としをとったよ。オフィリヤ、ここへお坐《すわ》り、さあ、お父さんと並んで坐ろう。これで、よし。まあ、もう少しお父さんの愚痴も聞いておくれ。お前は、このごろ、だんだんお母さんに似て来たね。わしは、なんだか、お前のお母さんと話をしているような気がするよ。お母さんも、草葉の蔭《かげ》で喜んでいるだろう。レヤチーズは、あのように丈夫に育ったし、お前も優しく、おとなしくて、わしの身のまわりの世話をよくしてくれる。お前の事は、お城の外の人たちまで褒《ほ》めちぎっているそうだ。ポローニヤスのような親から、よくもあんな器量よしが生れたものだと、けしからぬ、が、まあいい、そんな噂《うわさ》さえ、わしは聞いている。本当に、お父さんは、いまは仕合せな筈《はず》だ。何ひとつ不足は無い筈なんだが、オフィリヤ、聞いておくれ、お父さんは、このごろ、なんだか、ふっと、とても心細くなる時があるのだ。お父さんは、もう、死ぬんじゃないか。いや、おどろく事は無い。何も、無理に死のうと言うのではないBお父さんは、いつも、百歳、いや百九歳くらいまで、なんとかして生きていたいと大真面目《おおまじめ》に考えていたものです。レヤチーズの立派に出世した姿を見て、大いに褒めて、これでわしも全く安心したと断言して、それから死にたいと思っていました。慾《よく》の深い話さ。でも、お父さんは、本気にそれを念じていました。わしには、いま、わし自身の楽しみというものは何もない。ただ、お前たちのために、生きていなければならぬと思っていたのだ。母のない子というものは、どんなに可愛《かわい》いものか、レヤチーズだって、お前だって知るまい。わしは、子供のためには、どんな、つらい事だってします。お父さんはね、こんな事まで考えていた。つまり、人生には、最後の褒め役が一人いなければならん。たとえばレヤチーズの場合、レヤチーズも、これから、人に褒められたいばかりに、さまざま努力するだろうが、そんな時に、世の中の人、全部があれを軽薄に褒めても、わしだけは、仲々に褒めてやるまい。早く褒められると、早く満足してしまう。わしだけは、いつまでも気むずかしい顔をしていよう。かえって侮辱をしてやろう。しかし、最後には必ず褒めます。謂《い》わば、最高の褒め役になろう。大いに褒める。天に聞えるほどの大声で褒める。その時あれは、いままで努力して来てよかったと思うだろう。生きている事を神さまに感謝するだろう。わしは、その、最後に褒める大声になりたくて、どうしても百九歳、いや百八歳でもよい、それまで生きているように心掛けて来たものだが、このごろ、それが、ひどくばからしくなって来た。褒めたくても怺《こら》えて小言《こごと》をいうのは、怒りたいところを我慢するのと、同じくらいに、つらいものです。そんなつらい役は、お父さんでなければ引き受ける人はあるまい。親馬鹿というんだね。親の慾だ。お父さんは、レヤチーズを、うんと、もっと立派にさせたくて、そんなつらい役をも引き受けようと、思っていたんだが、なんだか、このごろ、淋しくなった。いや、お父さんは、まだまだ、これからもお前たちには、こごとを言いますよ。さっきも、レヤチーズには、あんなに口うるさく、こごとを言いました。けれども、言った後で、お父さんは、ふっと心細くなるのです。つまりね、教育というものは、そんな、お父さんの考えているような、心の駈引《かけひ》きだけのものじゃないという事が、ぼんやりわかって来たのです。子供は親の、そんな駈引きを、いつの間にか見破ってしまいます。どうだい、わしにしては、たいへんな進歩だろう。レヤチーズは、しっかりしているけれども、やっぱり男だけに、まだ単純なところがあります。お父さんの巧妙な駈引きに乗せられて、むきになって努力するところがあります。それは、あれの、いいところだ。それを知っているから、お父さんも、レヤチーズには時々、駈引きをして、しかも成功しています。さっきお父さんが、大声でさまざまの注意を与えてやりましたが、レヤチーズは、うるさいと思っていながら、やっぱりお父さんの気をもんで
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