。わしも立って話しましょう。ハムレット、大きくなったね。もう、わしと脊丈《せたけ》が同じくらいだ。これからも、どんどん大人になるでしょう。でも、も少し太らなければいけませんね。ずいぶん痩《や》せている。顔色も、このごろ、よくないようです。自重して下さいよ。君の将来の重大な責務を考えて下さい。きょうはここで、二人きりで、ゆっくり話してみましょう。わしは前から、二人きりになれる機会を待っていたのです。わしも、思っているところを虚心|坦懐《たんかい》に申しますから、君も、遠慮なさらず率直に、なんでも言って下さい。どんなに愛し合っていても、口に出してそれと言わなければ、その愛が互いにわからないでいる事だって、世の中には、ままあるのです。人類は言葉の動物、という哲学者の意見も、わしには、わかるような気がします。きょうは、よく二人で話合ってみましょう。わしも此の二箇月間は、いそがしく、君と落ちついて話をする機会もなかった。全く、そのひまが無かったのです。ゆるして下さい。君のほうでもまた、なんだか、わしと顔を合せるのを避けてばかりいましたね。わしが部屋へはいると、君は、いつでもぷいと部屋から出て行きます。わしは、その度毎《たびごと》に、どんなに淋しかったか。ハムレット! 顔を挙げなさい。そうして、わしの問いに、はっきり、まじめに答えて下さい。わしは、君に聞きたい事がある。君は、わしを、きらいなのですか? わしは、いまでは君の父です。君は、わしのような父を軽蔑《けいべつ》しているのですか? 憎んでいるのですか? さ、はっきりと答えて下さい。一言でいい。聞かせて下さい。」
 ハム。「A little more than kin, and less than kind.」
 王。「なんだって? よく聞きとれなかった。ふざけては、いけません。わしは、まじめに尋ねているのです。語呂《ごろ》合せのような、しゃれた答えかたはしないで下さい。人生は、芝居ではないのです。」
 ハム。「はっきり言っている筈です。叔父さん! あなたは、いい叔父さんだったけど、――」
 王。「いやな父だというのですね?」
 ハム。「実感は、いつわれませんからね。」
 王。「いや有難う。よく言ってくれました。そのように、いつでも、はっきり言ってくれるといいのです。真実の言葉に対しては、わしは、決して怒りません。実は、わしも、君とそっくりな実感を持っているのです。何も君、そんなに顔色を変えて、わしを睨《にら》む事は無いじゃないか。君は少し表情が大袈裟《おおげさ》ですね。わかい頃《ころ》は誰しもそうなんだが、君は、自分ではずいぶん手ひどい事を他人に言っていながら、自分が何か一言でも他人から言われると飛び上って騒ぎたてる。君が他人から言われて手痛いように、他人だって君にずけずけ言われて、どんなに手痛いか、君はそんな事は思ってもみないのですからね。」
 ハム。「そんな、決してそんな、――ばからしい。僕はいつでも、せっぱつまって、くるしまぎれに言ってるのです。ずけずけなんて言った覚えは、ありません。」
 王。「だから、それが君だけでは無いと言うのです。わしたちだって、いつでも、せっぱつまって言っているのです。精一ぱいで生きているのです。わしたちには、何か力の余裕と自信が満ちているように君たちには見えるのかも知れないが、同じ事です。君たちと、ほとんど同じ事なのです。一日を息災に暮し得ては、ほっとして神にお礼を申している有様なのです。ことにも、わしはハムレット王家の血を受けて生れて来た男です。君もご存じのように、ハムレット王家の血の中には、優柔不断な、弱い気質が流れて居ります。先王も、わしも、幼い時から泣き虫でした。わしたち二人が庭で遊んでいるのを他国の使臣などが見て、女の子と間違ったものです。二人そろって病弱でした。侍医も、二人の完全な成長を疑っていたようでした。けれども先王は、その後の修養に依って、あのように立派な賢王になられました。宿命を、意志でもって変革する事が出来ると、わしは今では信じて居ります。先王が、そのよいお手本です。わしは今、懸命に努力しています。何とかして、此のデンマークの為に、強い支柱になってやりたいと思っています。本当に、精一ぱいなのです。けれども、いま、わしを一ばん苦しめているものは、ハムレット、ご存じですか、君です。君は、さっき、実感はあらそわれないとか言いましたが、わしも、そのとおり、君を我が子と思えないのです。もっと、はっきり言いましょう。君は可愛《かわい》い甥でした。わしは君を、利巧な甥としてしんから愛して来ました。君だって、先王がおいでの頃は、この山羊《やぎ》のおじさんに、なついていました。わしの顔が山羊に似ているのを、一ばんさきに見つけたのは、わしの可愛い甥でした。叔父さんも、よろこんで山羊のおじさんになっていました。あの頃が、なつかしいね。いまでは、わしと君は、親子です。そうして心は、千里も万里も離れました。むかしの二人の愛情が、そのまま憎悪《ぞうお》に変ってしまった。わしたちが親子になったのが、不仕合せのもとでした。でも、これは、このままにしては置けません。ハムレット、わしには一つお願いがあります。あざむいて下さい。せめて臣下の見ている前だけでも、君の実感をあざむいて下さい。わしと仲の良い振りをしていて下さい。いやな事でしょう。くるしい事です。でも、その他《ほか》に方法がありません。王家の不和は、臣下の信頼を失い、民の心を暗くし、ついには外国に侮られます。さっき、王妃も言「ましたが、わしたちの場合は、自分のからだであって、自分のものではないのです。すべて、此のデンマークの為に、父祖の土の為に、自分の感情は捨てなければなりません。此のデンマークの土も、海も、民も、やがては君の掌《て》に渡されるのです。わしたちは、いま協力しなければいけません。わしを愛してくれとは申しません。わしだって君を、心の底から我が子と呼んで抱きしめる程の愛情は、打ち明けたところ、どうしても感ぜられない状態なのですから、君にだけ、無理に愛せよ等《など》とは言えません。ただ、人の見ている前だけでいいのです。それがお互いのくるしい義務です。天意だと思います。これには従わなければいけません。愛への潔癖よりも、義務への忍従のほうが、神の悦《よろこ》び賞するところだと信じます。また、はじめは身振りだけの愛の挨拶《あいさつ》であっても、次第に、そこから本当の愛が滲《にじ》んで湧《わ》いて来る事だってあると思います。」
 ハム。「わかりました。それくらいの事は、僕にだって、わかっています。僕は、めんどうくさいんです。僕を、も少し遊ばせて置いて下さい。叔父さん、僕から一つお願いします。僕を、また、ウイッタンバーグの大学へ行かせて下さい。」
 王。「二人だけの時は、叔父と呼んでも一向かまいませんが、王妃や臣下のいる前では、必ず父と呼ぶことを約束しなければなりません。こんな、つまらぬ事を、とがめだてするのは、わしは、つらくて恥ずかしいのですが、そんな些細《ささい》の形式が、デンマーク国の運命にさえ影響します。わしは、此の事を、さっきから君にたのんでいるのです。」
 ハム。「そうですか。どうも。」
 王。「君は、どうしてそうなんでしょう。わしが、ちょっとでも、むきになって何か言うと、すぐ、ぷんとして、そんな軽薄な返事をして、わしの言葉をはぐらかしてしまいます。」
 ハム。「叔父さん、いや、王こそ、僕のお願いを、はぐらかします。僕は、ウイッタンバーグへ行きたいんです。それだけなんです。」
 王。「本当ですか? わしは、それを嘘《うそ》だと思っています。だから、聞えぬ振りをしようと思っていたのです。大学へ、また行きたいというのは、君の本心ではありません。それは、口実にすぎません。君は、そんな事を言って、ただわしに反抗してみているだけなのです。わしだって知っています。若いころの驕慢《きょうまん》の翼は、ただ意味も無くはばたいてみたいものです。やたらに、もがきたいのです。わしはそれを動物的な本能だと思っています。その動物的な本能に、さまざま理想や正義の理窟《りくつ》を結びつけて、呻《うめ》いているのです。わしは断言できる。君は、よし先王が生きておいでになっても、きっと、いまごろは先王に反抗している。そうして、先王を軽蔑し、憎み、わからずやだと陰口をきき、先王を手こずらせているでしょう。そんな年ごろなのです。君の反抗は肉体的なものです。精神的なものではありません。いま君は、ウイッタンバーグへ行っても、その結果が、わしには、眼《め》に見えるようです。君は大学の友人たちから英雄のように迎えられるでしょう。旧弊な家風に反抗し、頑迷《がんめい》冷酷な義父と戦い、自由を求めて再び大学へ帰って来た、真実の友、正義潔白の王子として接吻《せっぷん》、乾盃《かんぱい》の雨を浴びるでしょう。でも、そのような異様の感激は、なんであろう。わしは、それを生理的感傷と呼びたいのです。犬が芝生に半狂乱でからだをこすりつけている有様と、よく似ていると思います。少し言いすぎました。わしは、その若い感激を、全部否定しようとは思いません。それは神から与えられた一つの時期です。必ずとおらなければならぬ火の海です。けれども人は一日も早く、そこから這《は》いあがらなければいけません。当りまえの事です。充分に狂い、焦《こ》げつき、そうして一刻も早く目ざめる。それが最上の道です。わしだって、君も知っているように決して聡明《そうめい》な人間ではありませんでした。いや、実に劣った馬鹿でした。いまでも、わしは、はっきり目ざめているとは言えません。けれども、わしは、君にだけは失敗させたくないと思っています。君は学友たちの、その場かぎりの喝采《かっさい》の本質を、調べてみた事がありますか。あれは、ふしだらの先輩を得たという安堵《あんど》です。お互いに悪徳と冒険を誇り合い、やがて薄汚い無能の老いぼれに墜落させ合うばかりです。わしは、わしの愚かな経験から君に言い聞ゥせているのです。わしは、永いあいだ放埒《ほうらつ》な大学生々活をして来ました。そうして、いまに残っているものは何でしょう。何もありません。ただ、いやらしい思い出です。呻くばかりの慚愧《ざんき》です。惰性の官能です。わしは、その悪習慣をもてあましました。いまだって、なおその処理にくるしんで居《お》ります。レヤチーズの場合は、ちがいます。あれには、出世という希望があります。出世という希望のあるうちは、人はデカダンスに落ちいる事はありません。君には、その希望がありません。落ちてみたい情熱だけです。君は既に三箇年間、大学の生活をして来ました。もう充分なのです。再び昔の学友たちと、あの熱狂を繰り返したら、こんどは取りかえしのつかぬ事になるかも知れません。少年の頃の不名誉の傷は、皆の大笑いのうちに容易になおりますが、二十三歳の一個の男子の失態の傷は、なまぐさく、なかなか拭《ふ》き取り難いものです。自重して下さい。大学生たちは、無責任な強烈な言葉で、君をそそのかすだけです。わしには、よくわかっています。さっき臣下の前では、わしは、他の理由で君の大学行きを止《と》めましたが、いや、たしかに、あの時申した事も重要な理由でしたが、それよりも、わしには、君のいまの驕慢の翼が心配だったのです。その翼の情熱の行方が心配だったのです。さっき臣下の前で申した事も、君には心掛けて置いてもらいたい、すなわち、わしの傍にいて実際の政治を見習うようにしてもらいたい、けれども、そんな政治上の思惑の他に、わしは君の父として、いや、愚かな先輩の義務として、君の冒険に忠告したかったのです。わしは君に、まことの父としての愛情が実感せられないとも言いましたが、けれども人間の義務感は、また別のものです。わしは、君の役に立ちたい。わしの愚かな経験から、やっと得た結論を、君に教えて、君を守りたいと思っているのです。君を立派に育てたいと念じているのです。そ
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