どんな、つらい事だってします。お父さんはね、こんな事まで考えていた。つまり、人生には、最後の褒め役が一人いなければならん。たとえばレヤチーズの場合、レヤチーズも、これから、人に褒められたいばかりに、さまざま努力するだろうが、そんな時に、世の中の人、全部があれを軽薄に褒めても、わしだけは、仲々に褒めてやるまい。早く褒められると、早く満足してしまう。わしだけは、いつまでも気むずかしい顔をしていよう。かえって侮辱をしてやろう。しかし、最後には必ず褒めます。謂《い》わば、最高の褒め役になろう。大いに褒める。天に聞えるほどの大声で褒める。その時あれは、いままで努力して来てよかったと思うだろう。生きている事を神さまに感謝するだろう。わしは、その、最後に褒める大声になりたくて、どうしても百九歳、いや百八歳でもよい、それまで生きているように心掛けて来たものだが、このごろ、それが、ひどくばからしくなって来た。褒めたくても怺《こら》えて小言《こごと》をいうのは、怒りたいところを我慢するのと、同じくらいに、つらいものです。そんなつらい役は、お父さんでなければ引き受ける人はあるまい。親馬鹿というんだね。親の慾だ。お父さんは、レヤチーズを、うんと、もっと立派にさせたくて、そんなつらい役をも引き受けようと、思っていたんだが、なんだか、このごろ、淋しくなった。いや、お父さんは、まだまだ、これからもお前たちには、こごとを言いますよ。さっきも、レヤチーズには、あんなに口うるさく、こごとを言いました。けれども、言った後で、お父さんは、ふっと心細くなるのです。つまりね、教育というものは、そんな、お父さんの考えているような、心の駈引《かけひ》きだけのものじゃないという事が、ぼんやりわかって来たのです。子供は親の、そんな駈引きを、いつの間にか見破ってしまいます。どうだい、わしにしては、たいへんな進歩だろう。レヤチーズは、しっかりしているけれども、やっぱり男だけに、まだ単純なところがあります。お父さんの巧妙な駈引きに乗せられて、むきになって努力するところがあります。それは、あれの、いいところだ。それを知っているから、お父さんも、レヤチーズには時々、駈引きをして、しかも成功しています。さっきお父さんが、大声でさまざまの注意を与えてやりましたが、レヤチーズは、うるさいと思っていながら、やっぱりお父さんの気をもんで
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