でした。叔父さんも、よろこんで山羊のおじさんになっていました。あの頃が、なつかしいね。いまでは、わしと君は、親子です。そうして心は、千里も万里も離れました。むかしの二人の愛情が、そのまま憎悪《ぞうお》に変ってしまった。わしたちが親子になったのが、不仕合せのもとでした。でも、これは、このままにしては置けません。ハムレット、わしには一つお願いがあります。あざむいて下さい。せめて臣下の見ている前だけでも、君の実感をあざむいて下さい。わしと仲の良い振りをしていて下さい。いやな事でしょう。くるしい事です。でも、その他《ほか》に方法がありません。王家の不和は、臣下の信頼を失い、民の心を暗くし、ついには外国に侮られます。さっき、王妃も言「ましたが、わしたちの場合は、自分のからだであって、自分のものではないのです。すべて、此のデンマークの為に、父祖の土の為に、自分の感情は捨てなければなりません。此のデンマークの土も、海も、民も、やがては君の掌《て》に渡されるのです。わしたちは、いま協力しなければいけません。わしを愛してくれとは申しません。わしだって君を、心の底から我が子と呼んで抱きしめる程の愛情は、打ち明けたところ、どうしても感ぜられない状態なのですから、君にだけ、無理に愛せよ等《など》とは言えません。ただ、人の見ている前だけでいいのです。それがお互いのくるしい義務です。天意だと思います。これには従わなければいけません。愛への潔癖よりも、義務への忍従のほうが、神の悦《よろこ》び賞するところだと信じます。また、はじめは身振りだけの愛の挨拶《あいさつ》であっても、次第に、そこから本当の愛が滲《にじ》んで湧《わ》いて来る事だってあると思います。」
ハム。「わかりました。それくらいの事は、僕にだって、わかっています。僕は、めんどうくさいんです。僕を、も少し遊ばせて置いて下さい。叔父さん、僕から一つお願いします。僕を、また、ウイッタンバーグの大学へ行かせて下さい。」
王。「二人だけの時は、叔父と呼んでも一向かまいませんが、王妃や臣下のいる前では、必ず父と呼ぶことを約束しなければなりません。こんな、つまらぬ事を、とがめだてするのは、わしは、つらくて恥ずかしいのですが、そんな些細《ささい》の形式が、デンマーク国の運命にさえ影響します。わしは、此の事を、さっきから君にたのんでいるのです。」
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