いけないとも言えなかった様子で、しぶしぶ沢田先生をお迎えするというような事情だったらしいのでございます。沢田先生は、土曜日毎にお見えになり、私の勉強室でひそひそ、なんとも馬鹿らしい事ばかりおっしゃるので、私は、いやでなりませんでした。文章というものは、第一に、てにをはの使用を確実にしなければならぬ、等と当り前の事を、一大事のように繰り返し繰り返しおっしゃって、太郎は庭を遊ぶというのは、あやまり。太郎は庭へ遊ぶというのも、やっぱり、あやまり。太郎は庭にて遊ぶといわなければいけないのだそうで、私が、くすくす笑うと、とても、うらめしそうな目つきで、私の顔を穴のあくほど見つめて、ほうと溜息をつき、あなたには誠実が不足している、いかに才能が豊富でも、人間には誠実がなければ、何事に於いても成功しない、あなたは寺田まさ子という天才少女を知っていますか、あの人は、貧しい生れで、勉強したくても本一冊買えなかったほど、不自由な気の毒な身の上であった、けれども誠実だけはあった、先生の教えをよく守った、それゆえ、あれほどの名作を完成できたのです、教える先生にしても、どんなに張り合いのあった事でしょう、あなたに
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