をしてあげたり、なかなかいそがしく、みんなの役にたって、張り合いのある日々を送りました。
あらしが、やって来ました。私が女学校四年生の時の事でしたが、お正月にひょっくり、小学校の沢田先生が、家へ年賀においでになって、父も母も、めずらしがるやら、なつかしがるやら、とても喜んでおもてなし致しましたが、沢田先生は、もうとっくに、小学校のほうはお止《よ》しになって、いまは、あちこちの、家庭教師をしながら、のんきに暮していらっしゃるというお話でありました。けれども、私の感じたところでは、失礼ながら、のんきそうには見えず、柏木の叔父さんと同じくらいのお年《とし》の筈《はず》なのに、どうしても四十過ぎの、いや、五十ちかくのお人の感じで、以前も、老けたお顔のおかたでありましたが、でも、この四、五年お逢いせずにいる間に、二十もお年をとられて疲れ切っているように見受けられました。笑うのにも力が無く、むりに笑おうとなさるので、頬に苦しい固い皺《しわ》が畳《たた》まれて、お気の毒というよりは、何だかいやしい感じさえ致しました。おつむは相変らず短く丸刈にして居られましたが、白髪《しらが》がめっきりふえていまし
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