たんだから。ね、あたしの眼を見て。きっと、雪のように肌の綺麗な赤ちゃんが生れてよ。」
 お嫂さんは、かなしそうな顔をして、黙って私の顔を見つめていました。
「おい。」
 とその時、隣りの六畳間から兄さんが出て来て、「しゅん子(私の名前)のそんなつまらない眼を見るよりは、おれの眼を見たほうが百倍も効果があらあ。」
「なぜ? なぜ?」
 ぶってやりたいくらい兄さんを憎く思いました。
「兄さんの眼なんか見ていると、お嫂さんは、胸がわるくなるって言っていらしたわ。」
「そうでもなかろう。おれの眼は、二十年間きれいな雪景色を見て来た眼なんだ。おれは、はたちの頃まで山形にいたんだ。しゅん子なんて、物心地のつかないうちに、もう東京へ来て山形の見事な雪景色を知らないから、こんな東京のちゃちな雪景色を見て騒いでいやがる。おれの眼なんかは、もっと見事な雪景色を、百倍も千倍もいやになるくらいどっさり見て来ているんだからね、何と言ったって、しゅん子の眼よりは上等さ。」
 私はくやしくて泣いてやろうかしらと思いました。その時、お嫂さんが私を助けて下さった。お嫂さんは微笑《ほほえ》んで静かにおっしゃいました。
「でも、とうさんのお眼は、綺麗な景色を百倍も千倍も見て来たかわりに、きたないものも百倍も千倍も見て来られたお眼ですものね。」
「そうよ、そうよ。プラスよりも、マイナスがずっと多いのよ。だからそんなに黄色く濁っているんだ。わあい、だ。」
「生意気を言ってやがる。」
 兄さんは、ぶっとふくれて隣りの六畳間に引込みました。
(「少女の友」昭和十九年五月号)[#地付き、地より2字あき]



底本:「ろまん燈籠」新潮文庫、新潮社
   1983(昭和58)年2月25日発行
   1998(平成10)年7月20日第21刷発行
初出:「少女の友」
   1944(昭和19)年5月号
入力:みやま
校正:鈴木厚司
2000年11月24日公開
2009年3月2日修正
青空文庫作成ファイル:
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