。君は、さっきからばかにひとりで酒をがぶがぶ飲んでいるが、お勘定《かんじょう》の方は、大丈夫かね。僕にはそんなにお金は無いよ。君は、いったい、いくら持っているんだい。まず自国の財政の見とおしをつけて置かなければ、戦争ヘ不安だ。早く調べて、報告してくれ。」
私は自分の財布《さいふ》を取出し、嚢中《のうちゅう》の金額を調べて外務大臣に報告した。
「よし、大丈夫だ。それだけあるなら大丈夫だ。僕にも、五、六十銭ある。も少し飲もう。たたきは僕はもう、ごめんだ。あっさり、湯豆腐《ゆどうふ》といこう。田舎料理では、まあ、無難なところだろうじゃないか。」しかし、私にはそれもまた彼の義歯となんらかの関係があるのではなかろうかと思われた。
鍋がかわって、さらにお酒が持ち運ばれた。
「よく食い、よく飲むねえ。」と彼は私が豆腐をふうふう吹いて食べながら、また片手ではしきりに独酌で飲むさまを、いまいましそうな眼つきで見て、「君たちは、松島でも、随分飲んだそうじゃないか。こまかい事を聞くようだがね、その勘定は誰が払った。だいじな事だ。」語調を改めてそう言った。私は箸《はし》を置いて答えた。
「半分ずつにしました。僕が全部払うつもりだったのですが、周さんが、どうしてもそうさせませんでした。」
「いけない。君は、それだからいけない。一事は万事だ。君は、もう周さんと附き合うのは、やめたほうがいい。国家の方針を、あやまる。周さんが何と言ったって、君が全部支払うべきところだ。外国人とつき合う時には、自分も一個の外交官になったつもりでいなければいけない。第一には、日本の人はみんな親切だという印象を彼等に与えなければいけない。僕の叔父貴など、そのへんの苦心は、たいへんなものだ。何せ、いま戦争中なのだからね。中立諸国の者たちには、実に複雑微妙な外交的術策を用いなければいけない。殊《こと》に、清国留学生は難物だ。これは清国から派遣された学生でありながら、清国政府の打倒をもくろんでいる。これをただ矢鱈《やたら》にあまやかしても、日本の現政府の外交方針に、もとるような結果になりはせぬか。ただの親切だけでは駄目だ。一面親切、一面指導という優先者の態度を以《もっ》て臨むのが、いまの外交官として妙訣ではないかと僕は睨《にら》んでいる。ここだよ、君。相手に弱味を見せちゃいけない。一緒に遊んだ時には、必ず勘定はこちらで全部引受ける。つねに一歩先んじなければいかん。僕だって、それはずいぶん苦労しているのだぜ。こないだのクラス会の時に、君は出なかったようだが、これからは出なければいかんね、そのクラス会の時にも、藤野先生が、幹事の僕に向って、留学生との交際には気をつけるように、とおっしゃった。」
それは私には聞き捨てならぬ事であった。何か藤野先生に裏切られたような気がした。
「まさか、藤野先生が、そんなばからしい外交的術策なんか。」
「ばからしいとは何だ。失敬な事を言ってはいけない。君は非国民だ。戦争中は、第三国人は皆、スパイになり得る可能性があるのだ。殊に清国留学生は、ひとり残らず革命派だ。革命の遂行のためには、露西亜に助力を乞《こ》う場合だってあり得るだろう。監視の必要があるんだ。一面親切、一面監視だ。僕はそのためにあの留学生を、僕の下宿にひっぱり込んで、何かと面倒を見てあげていると同時に、また、いろいろ日本の外交方針に添った努力もしているのだ。」
「何ですか、そのいろいろの努力というのは。けちくさいじゃないですか。」私も、かなり酔っていた。
「や、けちくさいとは、よくも言った。君は、まさしく非国民だ。不良少年だ。」顔色をかえている。「ふとい野郎だ。田舎にもこんな不良少年がいるからなあ。叔父貴の名前も知らないなんて、なってないじゃないか。も少し勉強しろ。お前はいまに落第するぞ。もう帰れ。お前の飲んだり食ったりした分を払って、早く帰れ。たたきも湯豆腐も、お前がひとりで食べたようなものだ。」
私は財布の中の金を全部、畳《たたみ》の上にぶちまけて黙って立った。
「やるか、おい。」と津田氏は大あぐらに両肘《りょうひじ》を突張ってわめいた。
私は苦笑した。
さようなら、とだけ言って外に出たが、さすがに面白くなかった。よし、あした藤野先生に直接逢って事の真偽をたしかめて見ようと思った。周さんがスパイになる可能性があって、そうして私が非国民の不良少年だなどと言われては黙って居られないような気がした。私は県庁裏の下宿している家に帰って、井戸端で顔を洗い、手を洗い、足を洗った。すこしさっぱりした気持になって、その夜は、ぐっすり眠れた。翌朝、私は意気込んで登校し、授業のはじまる前に、藤野先生の研究室に行き、ドアをたたいた。おはいり、という先生の声がする。躊躇《ちゅうちょ》せず、ドアをあけると、部屋には朝日が一ぱいに射し込んでいて、先生は、上肢骨《じょうしこつ》やら下肢骨やら頭蓋骨《ずがいこつ》やら、頗《すこぶ》る不気味な人骨の標本どもに取巻かれ、泰然《たいぜん》と新聞を読んで居られた。廻転椅子を少し私のほうにねじ向け、新聞を卓上に置き、
「なんですか。」研究室に於ける先生は、教室の先生よりもずっと優しい。
「あの、第三国人と交際してはいけないのですか。」
「え、なんです?」先生は、関西なまりを丸出しにして問いかえした。
「周さんの事なんです。」私は先生の関西なまりに接して、思わず微笑した。こんどは落ちついて言うことが出来た。「周樹人君と交際してはいけないって、きのう或る人から言われたのですけど。」
「誰ですか。」
「名前は申しません。僕はその人の事を告げ口しに来たのではないんです。ただ、先生がそのようにお言いつけになったという話を聞いたものですから、本当かどうかお伺いにあがっただけなんです。」
藤野先生に対しても私は、周さんに対した時と同じ様に、思っている事が割にすらすら言えた。その理由らしきものに就いては、前に幾度も、くどいくらいに書いたが、しかし、結局は藤野先生や周さんのお人柄のせいかも知れない。私はあの人たちに対した時には、何か安心なのである。
「変ですね。」先生は、不満そうに口髭《くちひげ》を強くこすりながら言った。「私がそんなばかな事を言うはずが無いやないか?」
「でも、」私は口をとがらせ、「クラス会の時に先生が、」と言いかけたら、
「あ、津田君やな? あいつ、おっちょこちょいや。」と言って笑い出した。
「では、あれは、嘘なんですか。」
「いや、言った。私は、言いました。」と急に講義の時のようなまじめな口調になって、「こんど私たちの学校に、はじめて、清国留学生がひとり来た。この者と共に医学を勉強する事は、小にしては、支那に新しい医学を誕生せしむるためであり、大にしては、両者助け合って西洋医学をいち早く東洋に吸収し、もって世界全体の学術を更に進展せしむるところの好刺戟を作ってやるため、というくらいの意気込みをクラスの幹事たる者は持っていて欲しい、と私はあの時、津田君に言いました。その他の事は、何も言いません。」
「そうですか。」私は、拍子抜けしたみたいな感じで、「戦争中は、第三国人がスパイになる可能性があるとか何とか言って、――」
「何を言っているのです。これを御覧。」と先生は卓上の新聞を私の方に押してよこした。見ると、その新聞の上段に大きく、
観菊会行幸啓
赤坂離宮に
内外人四千九十二名
などという見出しが掲げられてある。本文を読んでみるまでもなく、私にはわかった。
「国の光の、悠遠靉靆《ゆうえんあいたい》たる事に確信を持とうやないか。」先生は伏目になって、しんみりと言った。「国体の盛徳、とでも申したらよいか、私は戦争の時にひとしお深くそれを感じます。」ふいと語調をかえて、「君は周君の親友か?」
「いいえ、決して、そんな、親友ではないのですけれど、でも、僕はこれから周さんと仲良くしようと思っていたのです。周さんは、僕なんかより、ずっと高い理想をもって、この仙台にやって来たのです。周さんは、お父さんの病気のため、十三の時から三年間、毎日毎日、質屋と薬屋の間を走りまわって暮したのです。そうして、臨終《りんじゅう》のお父さんを喉《のど》が破れるほど呼びつづけて、それでも、お父さんは、死んじゃったんです。その時の、自分の叫びつづけた声が、いまでも耳について、離れないと言っているんです。だから、周さんは、支那の杉田玄白になって、支那の不仕合せな病人を救ってやりたいと言っているのです。それを、それだのに、周さんたちは革命思想の急先鋒《きゅうせんぽう》だから、一面親切、一面監視だの、複雑微妙な外交手腕だの、そんな事、あんまりだと思うんです。あんまりです。周さんは、本当に青年らしい高い理想を持っているんです。青年は、理想を持っていなければ、いけないと思います。そうして、だから、青年は、理想を、理想というものだけを、――」言いかけて、立ったまま泣いてしまった。
「革命思想。」と先生は、ひとりごとのように低く言って、しばらく黙って居られた。やがて窓の方を見ながら、「私の知っている家で、兄は百姓、次男は司法官、末弟は、これは変り者で、役者をしている、そんな家があるのです。はじめは、どうも、やはり兄弟喧嘩《きょうだいげんか》なんかしていたようですが、しかし、いまでは、お互い非常に尊敬し合っているようです。理窟《りくつ》でないんです。何と言ったらいいのかなあ、各人各様にぱっとひらいたつもりでも、それが一つの大きい花なんですね。家、というものは不思議なものです。その家は、地方の名門、と言えば大袈裟《おおげさ》だが、まあ、その地方で古くから続いている家です。そうして、いまでも、やっぱりその地方の人たちから、相変らず信頼されているようです。私は東洋全部が一つの家だと思っている。各人各様にひらいてよい。支那の革命思想に就いては、私も深くは知らないが、あの三民主義というのも、民族の自決、いや、民族の自発、とでもいうようなところに根柢《こんてい》を置いているのではないかと思う。民族の自決というと他人行儀でよそよそしい感じもするが、自発は家の興隆のために最もよろこぶべき現象です。各民族の歴史の開化、と私は考えたい。何も私たちのこまかいおせっかいなど要らぬ事です。数年前、東亜同文会の発会式が、東京の万世倶楽部《まんせいクラブ》で挙げられて、これは私も人から聞いた話ですが、その時、近衛篤麿《このえあつまろ》公が座長に推され、会の目的綱領を審議する段になって、革命派の支持者と清朝《しんちょう》の支持者との間にはげしい議論が持ち上った。両々|相対峙《あいたいじ》して譲らず、一時はこのために会が決裂するかとも思われたが、その時、座長の近衛篤麿公が、やおら立ち上って、支那の革命を主張せられる御意見も、また、清朝を支持し列国の分割を防止せむとせられる御意見も、つまるところは他国に対する内政干渉であって、会の目的としては甚《はなは》だ面白くない。しかし、両説の目標とするところは、共に支那の保全にあるのだから、本会は『支那の保全』を以てその目的としては如何《いかが》であろう、という厳粛な発言を行って満座を抑え、両派共これには異議無く、満場一致|大喝采裡《だいかっさいり》に会の目的が可決され、この『支那の保全』は、爾来《じらい》、わが国の対支国是となっているという事です。私たちは、もうこの上、何も言う事が無い竄ネいか。支那にだって偉い人がたくさんいますよ。私たちの考えている事くらい、支那の先覚者たちも、ちゃんと考えているでしょう。まあ、民族自発ですね。私はそれを期待しています。支那の国情は、また日本とちがっているところもあるのです。支那の革命は、その伝統を破壊するからよろしくないと言っている人もあるようですが、しかし、支那にいい伝統が残っていたから、その伝統の継承者に、革命の気概などが生れたのだとも考えられます。たち切られるのは、形式だけです。家風あるいは国風、その伝統は決して中断されるものではありません。東洋本来の
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