て冷然と、「まあ、いいやうにして置いて下さい。」と言ひ放つて母屋へ引き上げ、蒲団かぶつて寝てしまつたが、すぐに起き上り、雨戸の隙間から、そつと畑を覗いてみた。菊は、やはり凛乎と生き返つてゐた。
その夜、陶本三郎が、笑ひながら母屋へやつて来て、
「どうも、けさほどは失礼いたしました。ところで、どうです。いまも姉と話合つた事でしたが、お見受けしたところ、失礼ながら、あまり楽なお暮しでもないやうですし、私に半分でも畑をお貸し下されば、いい菊を作つて差し上げませうから、それを浅草あたりへ持ち出してお売りになつたら、よろしいではありませんか。ひとつ、大いに佳い菊を作つて差し上げたいと思ひます。」
才之助は、けさは少からず、菊作りとしての自尊心を傷つけられてゐる事とて、不機嫌であつた。
「お断り申す。君も、卑劣な男だねえ。」と、ここぞとばかり口をゆがめて軽蔑した。「私は、君を、風流な高士だとばかり思つてゐたが、いや、これは案外だ。おのれの愛する花を売つて米塩の資にする等とは、もつての他です。菊を凌辱するとは、この事です。おのれの高い趣味を、金銭に換へるなぞとは、ああ、けがらはしい、お断り申す。」と、まるで、さむらひのやうな口調で言つた。
三郎も、むつとした様子で、語調を変へて、
「天から貰つた自分の実力で米塩の資を得る事は、必ずしも富をむさぼる悪業では無いと思ひます。俗といつて軽蔑するのは、間違ひです。お坊ちやんの言ふ事です。いい気なものです。人は、むやみに金を欲しがつてもいけないが、けれども、やたらに貧乏を誇るのも、いやみな事です。」
「私は、いつ貧乏を誇りました。私には、祖先からの多少の遺産もあるのです。自分ひとりの生活には、それで充分なのです。これ以上の富は望みません。よけいな、おせつかいは、やめて下さい。」
またもや、議論になつてしまつた。
「それは、狷介《けんかい》といふものです。」
「狷介、結構です。お坊ちやんでも、かまひません。私は、私の菊と喜怒哀楽を共にして生きて行くだけです。」
「それは、わかりました。」三郎は、苦笑して首肯いた。「ところで、どうでせう。あの納屋の裏のはうに、十坪ばかりの空地がありますが、あれだけでも、私たちに、しばらく拝借ねがへないでせうか。」
「私は物惜しみをする男ではありません。納屋の裏の空地だけでは不足でせう。私の菊畑の半分は、
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