な、ひどく若い。まるで子供である。十六歳から二十歳という制限だった筈だが、その七、八人のひと達は、ちょっと見たところ、まるで十三、四の坊やだ。髪をおかっぱにしている者もあり、赤いボヘミアンネクタイをしている者もあり、派手な模様の和服を着流している者もあり、どうも芸者の子か何かのような感じの少年ばかりだ。僕は、てれくさかった。さっきの番頭さんみたいな人が、おせんべいとお茶を持って来て僕にすすめて、「しばらくお待ち下さいまし。」と言う。恐縮するばかりである。ぼつぼつと受験生が集って来る。二十歳くらいのひとも三、四人来た。けれども、みんな背広か和服だ。学生服は、ついに僕ひとりであった。あんまり利巧そうでない顔ばかりだったが、でも、鴎座のように陰鬱《いんうつ》な感じはなかった。人生の敗残者なんて感じはない。ただ、無心にきょろきょろしている。二十人くらいになった頃、れいの番頭さんが出て来て、「どうもお待ちどおさまでした。お名前をお呼び致しますから。」と静かな口調で言って、五人の名前を呼んで、「どうぞこちらへ。」と別室へ案内して行った。僕の名は呼ばれなかった。あとは、また、しんとなって、僕は立ち上り、廊下に出て、庭を眺《なが》めた。料理屋か、旅館の感じである。庭もなかなか広い。かすかに電車の音が聞える。じりじり暑い。三十分くらい待たされて、こんど呼ばれた名前の中には、僕の名もはいっていた。れいの番頭さんに引率されて僕たち五人は薄暗い廊下を二曲りもして、風通しのよい洋室に案内された。
「やあ、いらっしゃい。」背広を着たとても美しい顔の青年が、あいそよく僕たちを迎えた。「筆記試験をさせていただきます。」
僕たちは中央の大きいテエブルのまわりに坐《すわ》って、その美しい青年から原稿用紙を三枚ずつ貰《もら》い、筆記にとりかかった。何を書いてもいい、というのである。感想でも、日記でも、詩でも、なんでもいい、但《ただ》し、多少でも春秋座と関係のある事を書いて下さい、ハイネの恋愛詩などを、いまふっと思い出してそのまんまお書きになっては困ります、時間は三十分、原稿用紙一枚以上二枚以内でまとめて下さい、という事であった。
僕は自己紹介から書きはじめて、春秋座の「雁」を見て感じた事を率直に書いた。きっちり二枚になった。他の人は、書いたり消したり、だいぶ苦心の態《てい》である。これでも、履歴書や写真に依《よ》って、多くの志望者の中から選び出された少数者なのだ。ずいぶん心細い選手たちである。けれども、こんな白痴みたいな人たちこそ、案外、演技のほうで天才的な才能を発揮するのかも知れない。あり得る事だ。油断してはならない、などと考えていたら、番頭さんがひょいとドアから顔を出して、
「お書きになりました方《かた》は、その答案をお持ちになって、どうぞこちらへ。」また御案内だ。
書き上げたのは僕ひとりだ。僕は立って廊下へ出た。別棟《べつむね》の広い部屋に通された。なかなか立派な部屋だ。大きい食卓が、二つ置かれてある。床の間寄りの食卓をかこんで試験官が六人、二メートルくらいはなれて受験者の食卓。受験者は、僕ひとり。僕たちの先に呼ばれた五人の受験者たちは、もう皆すんで退出したのか、誰《だれ》もいない。僕は立って礼をして、それから食卓に向ってきちんと坐った。いる、いる。市川菊之助《いちかわきくのすけ》、瀬川国十郎、沢村嘉右衛門《さわむらかえもん》、坂東市松《ばんどういちまつ》、坂田門之助、染川文七、最高幹部が、一様に、にこにこ笑ってこっちを見ている。僕も笑った。
「何を読みますか?」瀬川国十郎が、金歯をちらと光らせて言った。
「ファウスト!」ずいぶん意気込んで言ったつもりなのだが、国十郎は軽く首肯《うなず》いて、
「どうぞ。」
僕はポケットから鴎外訳の「ファウスト」を取り出し、れいの、花咲ける野の場を、それこそ、天も響けと読み上げた。この「ファウスト」を選ぶまでには、兄さんと二人で実に考えた。春秋座には歌舞伎《かぶき》の古典が歓迎されるだろうという兄さんの意見で、黙阿弥《もくあみ》や逍遥《しょうよう》、綺堂《きどう》、また斎藤先生のものなど色々やってみたが、どうも左団次や羽左衛門《うざえもん》の声色《こわいろ》みたいになっていけない。僕の個性が出ないのだ。そうかといって、武者小路《むしゃのこうじ》や久保田万太郎《くぼたまんじゅうろう》のは、台詞《せりふ》がとぎれて、どうも朗読のテキストには向かないのだ。一人三役くらいで対話の朗読など、いまの僕の力では危かしいし、一人で長い台詞を言う場面は、一つの戯曲にせいぜい二つか三つ、いや何も無い事さえあって、意外にも少いものなのだ。たまにあるかと思うと、それはもう既に名優の声色、宴会の隠芸《かくしげい》だ。何でもいいから、一つだけ選べ、と言われると実際、迷ってしまうのだ。まごまごしているうちに試験の期日は切迫して来る。いっそこうなれば「桜の園」のロパーヒンでもやろうか。いや、それくらいなら、ファウストがいい。あの台詞は、鴎座の試験の、とっさの場合に僕が直感で見つけたものだ。記念すべき台詞だ。きっと僕の宿命に、何か、つながりのあるものに相違ない。ファウストにきめてしまえ! という事になったのである。このファウストのために失敗したって僕には悔いがない。誰はばかるところなく読み上げた。読みながら、とても涼しい気持がした。大丈夫、大丈夫、誰かが背後でそう言っているような気もした。
人生は彩《いろど》られた影の上にある! と読み終って思わずにっこり笑ってしまった。なんだか、嬉《うれ》しかったのである。試験なんて、もう、どうだっていいというような気がして来た。
「御苦労さまです。」国十郎氏は、ちょっと頭をさげて、「もう一つ、こちらからのお願い。」
「はあ。」
「ただいま向うでお書きになった答案を、ここで読みあげて下さい。」
「答案? これですか?」僕はどぎまぎした。
「ええ。」笑っている。
これには、ちょっと閉口だった。でも春秋座の人たちも、なかなか頭がいいと思った。これなら、あとで答案をいちいち調べる手数もはぶけるし、時間の経済にもなるし、くだらない事を書いてあった場合には朗読も、しどろもどろになって、その文章の欠点も、いよいよハッキリして来るであろうし、これには一本、やられた形だった。けれども、気を取り直して、ゆっくり、悪びれずに読んだ。声には少しも抑揚をつけず、自然の調子で読んだ。
「よろしゅうございます。その答案は置いて行って、どうぞ控室でお待ちになっていて下さい。」
僕はぴょこんとお辞儀をして廊下に出た。背中に汗をびっしょりかいているのに、その時はじめて気がついた。控室に帰って、部屋の壁によりかかってあぐらを掻《か》き、三十分くらい待っているうちに、僕と同じ組の四人の受験生も順々に帰って来た。みんなそろった時に、また番頭さんが迎えに来て、こんどは体操だ。風呂場《ふろば》の脱衣場みたいな、がらんと広い板敷の部屋に通された。なんという俳優か名前はわからなかったが角帯をしめた四十歳前後の相当の幹部らしいひとが二人、部屋の隅《すみ》の籐椅子《とういす》に腰かけていた。若い、事務員みたいな人が白ズボンにワイシャツという姿で、僕たちに号令をかけるのである。和服の人は着物をみな脱がなければならないが、洋服の人は単に上衣《うわぎ》を脱ぐだけでよろしいという事であって、僕たちの組の人は全部洋服だったので、身支度にも手間《てま》がかからず、すぐに体操が始まった。五人一緒に、右向け、左向け、廻《まわ》れ右、すすめ、駈足《かけあし》、とまれ、それからラジオ体操みたいなものをやって、最後に自分の姓名を順々に大声で報告して、終り。簡単なる体操、と手紙には書いてあったが、そんなに簡単でもなかった。ちょっと疲れたくらいだった。控室へ帰ってみると、控室には一列に食卓が並べられていて、受験生たちはぼつぼつ食事をはじめていた。天丼《てんどん》である。おそばやの小僧さんのようなひとが二人、れいの番頭さんに指図されて、あちこち歩きまわってお茶をいれたり、丼《どんぶり》を持ち運んだりしている。ずいぶん暑い。僕は汗をだらだら流して天丼をたべた。どうしても全部たべ切れなかった。
最後は口頭試問であった。番頭さんに一人ずつ呼ばれて、連れられて行く。口頭試問の部屋は、さっきの朗読の部屋であった。けれども部屋の中の雰囲気は、すっかり違っていた。ごたごた、ひどくちらかっていた。大きい二つの食卓は、ぴったりくっつけられて、文芸部とか企劃部《きかくぶ》とか、いずれそんなところの人たちであろう、髪を長くのばして顔色のよくないひとばかり三人、上衣を脱いでくつろいだ姿勢で食卓に肘《ひじ》をつき、食卓の上には、たくさんの書類が雑然とちらかっている。飲みかけのアイスコーヒーのグラスもある。
「お坐りなさい。あぐら、あぐら。」と一ばんの年長者らしい人が僕に座布団《ざぶとん》をすすめる。
「芹川《せりかわ》さんでしたね。」と言って、卓上の書類の中から、僕の履歴書や写真などを選び出して、
「大学は、つづけておやりになるつもりですか?」まさに、核心《かくしん》をついた質問だった。僕の悩みも、それなんだ。手きびしいと思った。
「考え中です。」ありのままを答える。
「両方は無理ですよ。」追撃急である。
「それは、」僕は小さい溜息《ためいき》をついた。「採用されてから、」言葉がとぎれた。
「それゃまあ、そうですが。」相手は敏感に察して笑い出した。「まだ採用と、きまっているわけでもないのですものね。愚問だったかな? 失礼ですが、兄さんは、まだお若いようですね。」どうも痛い。からめ手から来られては、かなわない。
「はあ、二十六です。」
「兄さんおひとりの承諾で大丈夫でしょうか。」本当に心配そうな口調である。この口頭試問の主任みたいな人は、よっぽど世の中の苦労をして来た人に違いないと僕は思った。
「それは大丈夫です。兄さんは、とても頑張《がんば》りますから。」
「頑張りますか。」ほがらかそうに笑った。他の二人のひとたちも、顔を見合せてにこにこ笑った。
「ファウストをお読みになったのですね? あなたがひとりで選んだのですか?」
「いいえ、兄さんにも相談しました。」
「それじゃ、兄さんが選んで下さったのですね?」
「いいえ、兄さんと相談しても、なかなかきまらないので、僕がひとりで、きめてしまったのです。」
「失礼ですけど、ファウストがよくわかりますか?」
「ちっともわかりません。でもあれには大事な思い出があるんです。」
「そうですか。」また笑い出した。「思い出があるんですか」柔和な眼で僕の顔を見つめて、
「スポーツは何をおやりです?」
「中学時代に蹴球《しゅうきゅう》を少しやりました。いまは、よしていますけど。」
「選手でしたか?」
それからそれと、とてもこまかい所まで尋ねる。お母さんが病気だと言ったら、その病状まで熱心に尋ねる。ちかい親戚《しんせき》には、どんな人がいるのか、とか、兄さんの後見人とでもいうような人がいるのか、とか、家庭の状態に就いての質問が一ばん多かった。でも自然にすらすらと尋ねるので、こちらも気楽に答える事が出来て、不愉快ではなかった。最後に、
「春秋座の、どこが気にいりましたか?」
「べつに。」
「え?」試験官たちは、一斉《いっせい》にさっと緊張したようであった。主任のひとも、眉間《みけん》にありありと不快の表情を示して、「じゃ、なぜ春秋座へはいろうと思ったのですか?」
「僕は、なんにも知らないんです。立派な劇団だとは、ぼんやり思っていたのですけど。」
「ただ、まあ、ふらりと?」
「いいえ、僕は、役者にならなけれぁ、他に、行くところが無かったんです。それで、困って、或《あ》る人に相談したら、その人は、紙に、春秋座と書いてくれたんです。」
「紙に、ですか?」
「その人はなんだか変なのです。僕が相談に行った時は風邪気味だとかいって逢ってくれなかったのです。だから僕は玄関で、いい劇団
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