一緒に遊んだものだが、それにしても、久し振りで逢《あ》って挨拶のすむかすまぬかのうちに、「この問題を解いて下さい」は、ずいぶん失敬な事だと思う。なにか僕たちに敵意でも抱いているのではないかとさえ疑われた。皮膚も見違えるほど黒くなって、もうすっかり、浜の青年になっている。
「出来そうもないなあ。」と僕は、ノオトブックの問題を、ろくに見もせずに言ったら、
「だって、あんたは大学へはいったんでしょう?」と詰め寄る。まるで喧嘩《けんか》口調だ。僕は、とてもいやな気がした。
「どこからお聞きになったのですか?」と兄さんは、おだやかに尋ねた。
「きのう電報が来たそうじゃないですか。」と繁夫さんは意気込んで言う。「川越のおばさんから聞きましたよ。」
「ああ、そうですか。」兄さんは首肯《うなず》いて、「やっとはいったのです。進は、ろくに受験勉強もしていなかったようですから、あなたにも解けないようなむずかしい問題は、やはり解けないでしょうよ。」と微笑《ほほえ》んで言ったら、繁夫さんはみるみる満面に喜色を湛《たた》えて、
「そうでしょうか。僕はまた、四年から大学へはいる程の秀才なら、こんな問題くらいわけなく解けるだろうと思って、お願いに来たんですけど、本当に失礼しました。この因数分解の問題は、なかなかむずかしいんですよ。僕も来年、高等師範へ受けてみようと思っているんです。僕は秀才でないから五年から受けます。はははは。」と、とても空虚な浅間しい笑いかたをして帰って行った。馬鹿な奴《やつ》だ! 環境がこの人を、こんなに、ねじけさせてしまったのかも知れないが、でも、こんな馬鹿がいるために世の中がどんなに無意味に暗くなる事か。いちいち僕に、張り合って、けちをつけなくたっていいじゃないか。R大学へはいったからって、僕には、これぼっちも驕《おご》った気持は無いんだし、ひとを軽蔑《けいべつ》するなんて、思いも及ばぬ事なのだ。兄さんも、繁夫さんの意気揚々たるうしろ姿を見送って、
「あんな人もいるからなあ。」と呟《つぶや》いて、溜息《ためいき》をついた。
 僕たちは、すっかりしょげてしまって、なんだか、こんなところで、のんきに遊んでいるのは、ひどく悪い事のような気もして来て、
「狐には穴あり、鳥には塒《ねぐら》、か。」と僕が言ったら、兄さんは、
「視《み》よ! 新郎《はなむこ》をとらるる日きたらん。」と言って笑った。こんな会話も、繁夫さんたちが聞いたら、さぞ鼻持ならない、気障《きざ》ったらしいもののような気がするのだろう。そんなら僕たちは、どうすればいいのだ。僕たちは、ちっとも思い上ってなんかいないのだ。いつでも、とても遠慮をしているのに。ああ、東京へ帰りたい。田舎は、とてもむずかしい。ゴルフをつづける気力も無く、僕たちは悲しい冗談を言い合いながら、家へ帰った。
 お昼には、また一つ失敗した。これは大きな失敗だった。しかも、それは、一から十まで僕ひとりが悪かったのだから、たまらない。
 お昼ごはんをすましてから、僕は兄さんをお庭にひっぱり出して、写真をとってあげていたら、垣根《かきね》の外で石塚《いしづか》のおじいさんの孫が二人、こそこそ話合っているのが聞えた。
「おらも、三つの時、写真とってもらっただ。」男の子が得意そうに言う。
「三つん時?」妹の声である。
「そうだだ。おらは帽子かぶってとっただ。だけんど、おらは覚えてねえだ。」
 兄さんも僕も噴き出した。
「遊びにいらっしゃい。」と兄さんは大きい声で言った。「写真をとってあげますよ。」
 垣根の外は、しんとなった。石塚のおじいさんは、昔この別荘の留守番をしてくれていた人で、いまもやはり此《こ》の辺に住んでいるのである。お孫さんは、上の男の子が十くらい、下の女の子が、七つくらい。やがて二人は、顔を真赤にして、ちょこちょこと庭へはいって来て、すぐに立ちどまり、二人とも、いよいよ顔を燃えるように赤くしてはにかみ、一歩も前にすすまない。その、もじもじしている様は、とても上品で感じがよかった。
「こっちへいらっしゃい。」と兄さんが手招きして、それから、ああ、僕は実にまずい事を言ってしまった。
「お菓子をあげるぜ。」
 女の子は、ふっと顔をあげて、それからくるりと背を向け、ぱたぱたと逃げた。男の子は、女の子ほど敏感でないらしく、ちょっとまごついていたが、これもすぐ女の子の後を追って逃げてしまった。
「だしぬけに、お菓子をあげるなんて言ったら、子供だって侮辱を感ずるよ。そんな気で来たんじゃないというプライドが、あるんだよ。」兄さんは、残念そうな顔をして言った。「ばかだなあ。これだから、繁夫さんにも反感を持たれるんだよ。」
 一言の弁解も出来なかった。やはり僕には、どこかに思い上った気持があるのだろう。くだらないおっちょこち
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